制作道場 最後の赤ペン
--------最後の学芸員赤ペン---------------------------------------------------------------------------------------------------
先日、制作道場の余韻も冷めやらない中、くるみちゃんが出品中の美術イベント、六甲ミーツアートに行ってきました。六甲山で繰り広げられる現代美術の展覧会で、広大な公園や森の中の随所に作品がちりばめられ、来場者は穏やかな秋の日を楽しみながら作品を探して散策します。
その中で特別の異彩を放っていたくるみちゃん。
後頭部の顔を見かけたお客さんたちはみんな、「わあぁぁ!」「すごい!おもしろい!」と奇声ともつかぬ歓声をあげ、驚き、興味を示し、近づき、笑い、話しかけ、写真を撮り、手を取り合わんばかりの勢いで応援し、名残惜しげに手を振って帰っていかれました。
その場の空気が生み出すものすごい上昇気流。
圧倒的な熱をはらんでお客さんとくるみちゃんとの間で何度も何度も繰り返されるその様子は、私に、あの小国の夏の日々が放っていた熱量を初めて客観的に感じさせてくれました。
「制作道場」って信じられないくらい贅沢なものだったんじゃないだろうかと。
すごいな。
あんなものが毎日、しかも違う内容で行われていたなんて。もう、見なかったすべての人に、損したねと言って回りたいくらいだ。(見てない皆さん、ごめんなさいね。ただのレトリックです。)
くるみちゃんはよく、口ぐせのようにこういいます。
おもしろいことがしたい
おもしろいって思ってもらいたい
びっくりさせたい
みんなが見たことないものをお見せしたい
今できる最高をお届けしたい
例えばもし、作品を生み出すということが、何の基準もルートもマップもない原野に、自分だけを羅針盤にして踏み出すようなものであるとすれば、作家がどんな羅針盤を持っているかが作品を左右することになります。形の繊細さ・精巧さに敏感な羅針盤を持っている人、新しいものに敏感な羅針盤を持っている人、知性に敏感な羅針盤を持っている人などなど。もちろんどの羅針盤ももっとずっと複雑に絡み合った感度を持っていることでしょう。
くるみちゃんはいつも、「自分なんてない」と言います。きっと本人は、そんな確固とした羅針盤なんて持ってないと言うだろうと思います。でもそうではなくて、くるみちゃんの羅針盤は、自分の中に何かを探すものではなく、自分を越えたどこかに向かうことを強く希求する羅針盤なのです。自分を越えたどこかにまだ見たことのない世界が広がっているに違いないという、希望を腹の底に隠した確信。ルートもマップもない原野を前にして、そこに自分の世界を作ろうとするのではなく、その原野に立っていては見えない、その原野の先だか上だか下だかわからないところに突然開ける(かもしれない)新しい地平を信じて目指す羅針盤。きっとその羅針盤はどの方向も指してはいないだろう。でも、見たことのない世界に近づいたらきっと感受してくれるに違いないと信じているのだ。
ここだよ!いまだよ!
私たちは、制作道場の日々の中で、くるみちゃんがその羅針盤を握りしめて原野に踏み出す様を毎日見ていたのだろうと思います。感受するのかわからない世界の存在を信じて一歩踏み出すくるみちゃんを、私たちは信じ、ルートを案じ、装備を整え、時にはお弁当を持たせて送り出してきたのだ。そうしながら、一緒におもしろいものをいっぱい見たし、びっくりしっぱなしだったし、見たことのないものもたくさん見た。私たちだけでは入っていけない原野の様子もたくさん見せてもらった。それが新しい地平だったのかどうかはまだわからない。でも、くるみちゃんが新しい地平を目指して毎日毎日新しいルートを開拓して進み続ける姿を見、そしてみんなに見せ続けたことは、まだ見ぬ世界の存在を信じるための種をまき続けたに違いない。
私がいつも行く温泉で、小学4年生の女の子とこんな会話をしました。
「ねえ、くるみちゃんのとき、あたま剃ったと?」
「うん、剃ったよ、見る?」(後ろの顔の痕跡を見せる)
「くるみちゃん、顔をバチーンってするやつもしたやろ?あれ痛くないと?」
「ゴムいっぱい付けたから痛かったと思うよ。」
女の子は小国チャンネル(小国の町内ケーブルテレビ)で毎週放送された「今週のくるみちゃん」を見てくれていたのですが、この会話をしながら、ふと私は「ああ、この子にはくるみなしの人生もあったんだよなー」と思いました。
顔リンピックの後、小学校にプールのコースロープを返しに行ったときにも、くるみちゃんを見かけた小学生たちが口々に「あ、くるみちゃん!」と呼びかけていました。この子たちにもくるみなしの人生もあったのだ。もちろん、私たちにもくるみなしの人生もありえたのだ。くるみちゃんと出会わない、“ふつうの”人生もあったのだ。
そう考えると、私たちがまき続けた種の持つ意味の大きさに圧倒されるような気持ちになります。この種からいつどういう芽が出るのかわかりません。芽を出すかどうかもわかりません。でも、確かに種はまかれているのだ。まだ見ぬ世界を信じることができる種は、その子たちを、私たちを、いつかどこかで救うことができるかもしれない。
制作道場が私たちに、小国に、世界にもたらしたものがこれだったとすれば、こんなに誇らしいことはない。例えそれが、「あるかもしれないまだ見ぬ世界を信じることができるとすれば、もしかしたらそれが私たちを救うことがあるかもしれない」という何重にも折り重ねられた仮定の中で、根拠のない希望と信頼のみを根拠にしているとしても、それならなおのこと、計り知れない深さと広さと爆発力を潜ませているように思うのです。
いつかどこかで芽が出るかな。
いつかどこかで花が咲くかな。
いつかどこかで爆発するかな。
直接であれ、間接であれ、制作道場に触れたすべての人たちの心にまだ見ぬ世界を信じる種が宿り、いつかその種が一斉に芽を出すかもしれない。制作道場が私の心に植え付けたこの想像は、どこまでも広くどこまでも深く広がり続け、この上なく希望に包まれている気持ちになります。薄っぺらな言葉を使ういつもの私の語彙の貧困を恨みますが、未踏の世界へと開かれたこの希望を生んだものは、まぎれもなく美術だと私は言いたい。たとえ毎日の作品が、これって美術?と問われたとしても。広がり続け、深まり続けるこの希望に満ちた想像を生み出したのは、制作道場なのである。
制作道場の2年目を終えて、思うことはたくさんあります。原野に足を踏み出そうとするくるみちゃんに、私はルートを案じすぎてはいなかったか。先走って余計な心配ばかりしていなかったか。ただ原野に踏み出す姿をしっかり見つめて応援すればよかったのではないか。赤ペンでは2年目で慎重になりすぎたみたいなことを言っていますが、そんなものはかっこつけた言い訳で、終わってしまった今になって気づくのですが、わたしのとるに足りないちっぽけなプライドが、いいとこ見せようとして、いいこと言おうとして、自由さを失わせていたのだと思います。きっともっとうまいやり方があったはずだ。そう思うととても切ない。
それでもあきらめずに、くるみちゃんは作品が最も輝く方法を模索し続けたし、私たちはくるみちゃんが最も輝ける方法を模索し続けたと思います。そうやってみんなで歩み続けたことが、制作道場を次に進むべきところまで運んでくれた。ゴールへと導いてくれた。他にはない、ここでしかできない、確かに私たちみんなで作ったと思える展覧会を作ることができたことが、何よりの幸せであり、財産でもあります。
最後に謝辞を述べなければならない人たちがたくさんいます。
まず、制作道場を見に来てくださった方々。何度も何度も足を運んでくださった方々。お手紙や差し入れなどをしてくださった方々。制作道場にかかわってくださったすべての方々。いちいちお名前を記せませんが、皆さんの反応が私たちを大いに鼓舞してくれました。
それから、ブログやFB、ツイッターなどを通して応援してくださっていた方々。皆さんにどうすればよく伝わるか、いつも考えていました。皆さんの発信力にも大いに助けられました。
そして、ゲスト赤ペンの竹口さん。1日だけの登場なのに、くるみちゃんのスイッチを大きく切り替えただけでなく、制作道場全体の流れをぐぐっと変えるエポックとなる強い存在感でした。スタッフもすっかりとりこです。
さらに身内ながら、善三美術館のスタッフ、+zenのメンバー。休日を返上し、くるみちゃんの制作はもちろん、衣・食・住に至るまで万全のサポート体制で取り組んでくれました。技と愛と毒のある自慢のスタッフ。
皆さん本当にありがとうございました。
最後にくるみちゃん。「くるみちゃんがビッグになりますように。そして、ビッグになるきっかけとなった善三美術館が大注目を集めますように」。他力本願寺への願掛け、かないますように。いろいろ本当にありがとう。忘れられないね。
若木くるみの制作道場、これにて幕といたします。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
番外編 町民ギャラリーの様子と今後の告知
最終日、空中に浮かぶ後ろ髪を撮影している、友人の武内さん。
物置のようになっていた展示スペース「町民ギャラリー」にも、武内さんが手を入れてくれて、たのしく、わかりやすくなりました。
くるみのひらき
丁寧なイラストつきの解説。
ロバ&ピーチ
ラブのスペル……A!!
うっかりミスだそうです。
かわいい吹き出しの数々です。
ろば耳
善三擬態
汗で戻す
影
ワークショップ
ナイキのシュッ
ホタル改め
馬力ジョーバ
ここからは会場の展示風景。
顔リンピック
ルームランナーを漕ぐと壁の電飾が光る
ナイキのスニーカーに浸かる、ボウリング(少量流し)のピン
ボウリング(少量流し)の人たちはレッグマジックの足カバーとしても活躍。
中学生のお面は鏡越しにもたのしめます。
お客さんが撮って、送ってくださったマンガの写真も。
展示の終わった翌日にはすぐ撤収でしたが、最後にいいかたちを見られて心から満足です。
武内さん、本当にありがとうございました。
武内さんは、今福岡のギャラリーで個展中です。
わたしは、明日から、六甲ミーツアートという美術イベントの搬入に行ってきます。
六甲ミーツアートに出品する、これも武内さんに作ってもらった映像の、予告編をユーチューブで公開しています。
タイトルは「葉っぱを求めて3千里」。
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※若木くるみパフォーマンス(植物園ランニング)を9月13日(土)~15日(月・祝)六甲高山植物園で開催いたします。
→葉っぱを求めて3千里 予告編
(※作品の一部ネタバレもございます。会場で初見を楽しまれたい方はご注意ください)
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まだ全然六甲の準備ができていません…。
これからまた武内さんのお力を借りてがんばるので、お近くの方はぜひいらしてください。
よろしくお願い致します。
本日の学芸員赤ペン ー「後ろ髪ひかれない」回想7へー
-----本日は長いので赤ペンも独立------------------------------------------------------------------------------
制作道場の「卒業」を考えるようになったのは、いつ頃だったろう。
今年の道場が始まって早い時期だったような気もするし、ギリギリまで考えていたような気もする。
でも、もし卒業するなら、私の中だけでとどめておくのではなく、みんなの前でちゃんと宣言したいと思っていました。来年度のスケジュールが発表されて、そこには別のアーティストの名前があって、そこで初めてみんなが「ああ、もうくるみちゃんやらないんだ」と知る、という風にはしたくなった。ちゃんと終わりたかった。
でもまさか、最終日の作品の最後がその舞台になるとは思ってもみませんでした。私の勝手な算段では、終わって打ち上げの挨拶か何かで宣言ってことになるかな・・・と思っていたのです。 (大してちゃんとしていないか・・・)
ただ、それを事前にくるみちゃんと話すかどうかは、ちょっと迷っていました。そのくらい、私たちの間ではタブーというか、アンタッチャブルな話題であり、でもそうであっても私は、くるみちゃんも同じ気持ちでいるだろうと思っていました。制作道場でできることはやりきったと。
くるみちゃんは日記でショックだったと言っていますが、それは多分、発表の仕方がいきなりだったからであって、本当の本当には気づいていただろうと思います。
いや。そうじゃないな。
今書きながら気づいて自分でも少し驚いたな。私はみんなに宣言したかったのではなく、みんなの前という逃げ場のなさを借りて、くるみちゃんに、ナイキの耳に、宣言したかったのかもしれない。2人きりではアンタッチャブルに手をつける勇気がなかったのだ。きっと。
制作道場を卒業することに決めたのは、今年がおもしろくなかったからとか、だめだったからとか、そういうネガティブなことでは全くありません。改めて今年のタイトルのラインナップを見ると、こんなに!というほどずっしりとした内容が並んでいるし、お客さんも毎回本当に喜んでくれていたし。
それでもなお制作道場を卒業するのは、くるみちゃんと私がやる制作道場には、もうこれ以上はないと私が判断したからです。判断したというより、実感したといったほうがいいかもしれません。
そもそも「制作道場」とは、昨年第1回目の若木くるみ展を開催するにあたり、どんな内容にするか打ち合わせしているときに振って沸いたように姿を現したアイディアでした。1日1作品30日間、学芸員の赤ペンチェックと共に七転八倒しながら制作し続けるこのスタイルは、くるみちゃんのギリギリの瞬発力、何をしでかすかわからない期待感、自らへの信頼に根ざしたがむしゃらな無謀さを表現するのにぴったりで、武道の道場で鍛え上げられる様子になぞらえて「制作道場」と名づけられました。
「制作道場」は、作品が形として誕生する前の企画段階から始まり、終わって反省会をするところまでを一つの作品ととらえ、さらにはその1日1日の作品が30個集まって一つの大きな「制作道場」という作品として完成します。展覧会でありながら作品でもあり、作品でありながら材料の買出しのような瑣末なところまでが含まれるという、ある意味無駄のないというか、例えて言うなら「ダシ殻まで何とかして食べる」という自家発電自家消費のあり方をしています。
制作過程や打ち合わせ過程までも作品にする手法は現代美術においてしばしばありますが、「制作道場」の場合は、1日1作品新作という過酷な条件に学芸員によるダメだしという薬味を加えて成り立つ点において他にはないおもしろさが生まれたし、くるみちゃんの未完成な完成という魅力を大いに発揮できた傑作だったと思います。
しかし。
制作道場のおもしろさは、ギリギリでがむしゃらな七転八倒にあります。去年の道場では、「こんなの思いついた!」「こんなのやってみたい!」というアイディアを無邪気に七転八倒しながら実現し、打ち上げ花火のようにインパクトのある作品を次々に発表しました。
そして2回目である今年。いざスタートしてみたら、当然われわれは既に去年のようにピュアではありませんでした。無邪気に七転八倒することで満足しなくなっていた。さらに七転八倒も上手になってきていた。どうやれば成立するか、どう見せれば良くなるか、想像できるようになっていた。もっと言えば、作品についても、楽しく打ち上げ花火をドカドカやれば満足できるわけでもなくなってきていた。
入念に考え、しっかり打ち合わせをして、細部を検討してから実行へと移すようになっていた。
それを成長と言うのかもしれない。もしくは老成と言うのかもしれない。
もちろん、今年の道場においても、実際の日々の制作は本当に七転八倒のでんぐり返りだったのですが、打ち合わせや相談を入念にした分、作品のコンセプトは深度を増したと思います。
そしてその分、作品は鮮度や勢いを失ったかもしれません。
しかしこれは決して悪いことでも、だめだったということでも、退化したということでもないのです。実際のところ、客観的に見れば、例えば「汗で戻す」や「小国ダービー」、「ソロボウラー」、「顔リンピック」など、「これのどこが勢いがないというのだ!」と思います。
でもそれでも。
少なくとも、私たちは無邪気ではなかった。
無邪気に七転八倒に夢中になれる時期を過ぎ、作品について、表現についてさまざまに思索をめぐらすようになったということは、つまり、制作道場ではできない表現へと進もうとしているということなのではないかと思うのです。例えば、今年の作品、特に後半の作品群(例えば「くるみのひらき」以降くらい)が質的にも内容的にも充実してくるにつれて、あるいは充実すればするほど、私にはそれがマケット(実際の作品のイメージを形にした模型)のように感じられるようになりました。これはもっと時間をかけて、制作にもじっくり取り組み、発表する場所や状況、ロケーションなどにも十分こだわって発表すべき作品ではないかと思うようになったのです。
制作道場の、1日1作品という条件で表現しきれるものではないと。
くるみちゃんが今表現したいものは、そういうものなんだと。
制作道場というスタイルは、確かにくるみちゃんの特質を表現するのにぴったりの表現方法だと思いますが、それは去年のくるみちゃんに最適だったもの。今年を経て、今のくるみちゃんには、別の表現方法が必要なのではないか。制作道場というスタイルは、今のくるみちゃんにとっては「最適」ではなくなってきているのだ。
2年間60作品を発表し続けて、人が進化しないわけがない。ましてあんなに毎日格闘し、必死で考え、全身全霊で実行し、本気で反省する毎日を繰り返し、その歩みが人を進めないわけがない。
そのあたりから私は、制作道場というスタイルでできることはもうやりきったと、腹の底で切なさと安堵をぐるぐる巻きにしていた。
時期が来たのだ。歩みを止めてはいけない。二寸先の光を信じて進むために。
そうやって私は、私たちは、制作道場を卒業する。
あえて「卒業」といい続けるところが実はかなり恥ずかしいのですが、別に48人組のアイドルになぞらえているわけではなく、「やめる」「おわる」という言葉とは違う、次の段階に進むときが来たということを言いたいのです。
たくさんの人に「また来年も!」と言われたし、小学生の女の子にじっと目を見つめられながら「来年もくるみちゃんを呼んでください」と言われもした。できることならそうしてあげたい。
でも、制作道場は、お祭り騒ぎのような見かけをしていてもお祭りのようなルーティンではない。毎日が必死の制作であり、作家の全身全霊をかけた表現なのだ。もちろん30日間やればいいというものでもない。やるからには、見ている人たちの意識の次元を一段階変化させるくらいのことをやらなくてはならない。
くるみちゃんが今それだけの表現をするとするならば、制作道場に匹敵する、あるいはそれを超える、制作道場ではない方法を模索しなくてはならない。
私たちはそれに出会いたい。
でもそれは制作道場をやっていては出会えないのだ。
そう自分に言い聞かせながら、私たちは一歩前に踏み出す。
私は制作道場をもう一回やりたいと思っているわけではない。ただ、あの日々にもう戻れないと思うとたまらない気持ちになるのだ。じゃあもう一回やればいいじゃん!という問題ではない。
制作道場を失うことがどうしようもなく切ないのは、本当に大好きなのに、その大好きなもののためには手を離さなくてはならないからだ。
仲良く手をつないでいてはいけない。
踏みとどまっていてはいけない。
薄っぺらな言葉を使ういつもの私の表現だと、前向きな別れなのだ。
なんだかこっけいなくらいに恋愛みたい。言葉を重ねれば重ねるほど「別れ話」みたいになって、こんなものを展覧会のブログに書くなよと思うのですが、しょうがない。展覧会との前向きな別れ。
制作道場がすっかり終わり、胸の中にぽっかりと穴を開けたまま日常がさらさらと流れ始めた頃、何気なく去年の制作道場の記録集『制作反省日記』をパラパラとめくってみて驚きました。その中の作品たちがとても若く、もっと言えば幼く感じられたのです。今年の会期中にずっと流れていた昨年の道場のダイジェスト動画は、いつもまぶしく見えてしょうがなかった。光にあふれていて目を向けられなかった。それなのに。
すべて終わったからこそ改めて気がついたのかもしれない。月並みな表現で自ら言わせていただくと、私たちは成長していたのだ。去年のものは確かに、今の私たちとは違う。今年の作品は、去年のものとは違って、確かにくるみちゃんなり私なりの「今」が表れたものだったんだと、このとき初めて啓示のように実感したのです。
最終日の日記でもたびたびくるみちゃんも書いているとおり、無邪気に七転八倒できなかった今年は、スタート当初「これでいいのかな・・・」「大丈夫かな・・・」という勝手な思い上がった自意識に飲み込まれ、、いまひとつ乗り切れない日々が続いていました。そういう時私はいつも、「深化したんだよ」とか「成長したんだよ」とか、自らに言い聞かせる言い訳のように繰り返していました。でも、本当は納得なんてしていなかったはず。そう言うしかなかったんだと思う。
そんなときに、どこか遠いところから降ってきてくれたこの啓示のような実感は、私を大いに勇気づけてくれました。今年の制作道場は、確かに今年の表現だった。去年を越えるとか、去年よりおもしろいかとではなく、今年の、今の、くるみちゃんを表すことができていたんだと。それが成長なのか老化なのか、右肩上がってるのか下がってるのかはわからない。でもそれが、真正面から、必死で、がむしゃらに、二寸先の光を信じて進んでいった結果だったのだということが、私を力づけてくれる。
今年30日間毎日毎日格闘したこと、最終日を迎えて以降感情の谷間でもがいたことなどを、1歳若い去年の私たちが、それも、今年の私たちが勝手に敵対視していた去年の私たちが、肯定してくれたようにも思う。
こういう実感が一つ一つ積み重なっていって、10代を懐かしむように、いつか制作道場を懐かしむことができるようになるのだろう。
30日間の制作道場が今年も終わる。最後の赤ペン。
そしてやがて制作道場が思い出になる。
あの日剃った私の髪は、もうすっかり伸びて、まだ髪は短いものの、人に見せても全然わからないほどになりました。「この髪が伸びる頃にはもう忘れちゃうかな」なんて冗談を言っていましたが、髪はこちらの心の歩幅なんて気にもせず、ずんずん先へ進んでしまいました。
現実はそうなんだよな。
でも、人生の中で、それも大人になってから、こんなに心が動く経験ができるなんて、しかも展覧会でそんな事になるなんて、思ってもみなかったな。
私はこれからも、くるみちゃんと制作道場を心のすみの小さな箱に入れて生きていくんだろうな。
くるみちゃんはどうかな。
制作道場を観てくれたみんなはどうかな。
最終日の「後ろ髪ひかれない」の7回にわたる超大作日記と赤ペンは今回でおしまい。
特に今回驚くほど長くなってしまいました。読みにくくてすみません。本当に5000字超えてしまいました。対抗したわけじゃないのよ!竹口さん!
(ご参照ください:八方美人 8月12日 - 若木くるみの制作道場2014)
びっくりするほど個人的な心情を吐露し続けてしまい、自分でも驚いていますが、書くことを通して、制作道場の意味も、制作道場への思いも、確認していったように思います。
展覧会を通して、一学芸員がこんな思いをしたという記録にしていただければと思います。
さて、最後にもう1回総括して本当におしまい。
それではまた。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
後ろ髪ひかれない 8月31日 回想7 ラストランそして卒業式
つづきです。
全力疾走から戻ると、お客さんが拍手で迎えてくれました。
わたしは山下さんが心臓発作でも起こしやしないかと気が気でなかったのですが、見ている方は皆笑顔でした。みんな、山下さんがご老体だってこと知らないんですね。別にわたしは山下さんの同世代の方をもまとめてご老体呼ばわりしているつもりは毛頭ありませんよ! 老体はあくまで山下さん個人に向けた形容です。以前京都でちょっとだけ、本当にちょっと、たったの2km弱です。歩かせただけで、「もう2か月分歩いた。」とかほざいておられたので、わたしは本当に心配しているんです。
一礼
体も硬い山下さん。沸き起こる拍手…。
うらの顔のおじぎをして、山下さんの「後ろ髪ひかれない」を締めました。
宙にわたしの後ろ髪と山下さんの後ろ髪とが仲良く浮かぶ中、再びお客さんとの「後ろ髪ひかれない」。
町民のぽっぽさん。
後ろ髪!
ひかれない!
いつも助けてくださいました。
人生相談に乗っていただいた時、ぼんやりした西日を受けて現れた妙なかたちの影帽子をわたしはきっと忘れません。オルゴールの頼りなげな調べを耳にくすぐらせ。
阿蘇のキタガワさん
企画書もたくさんいただきました。
後ろ髪!
ひかれてない!
次に予定している、先の見えないビジネスに、いちばん始めに乗っかってくださった奇特な方です。キタガワさんがおもしろがってくれたから、今年の道場もようやく弾みだしたんです。詐欺になったらどうしよう! 約束、待っていてください。
福岡のおねえさん
そしておにいさん
互いを撮り合うおにいさん
おねえさん。
「駆け込ん寺」(8月10日)にいらしてくださったおふたりは、ともに素晴らしい企画を考えてくださったのですが、ついに実行できずに終わってしまってわたしはずっと、後ろ髪を激しくひかれ続けていました。
後ろ髪!
ひかれてる!!
でも、来週結婚式だとか言ってニコニコいちゃついておられたので、まあいっか。
心からおめでとうございます! 後ろ髪、ひかれませんでした。
和歌山からお越しのお客さま。
クールビューティーです。
後ろ髪とガムテ、持ちましたね?
後ろ髪!
ひかれるわけない!
顔、すごくよく残っています!
ね!
正体はなんとなくしか明かして下さらなかったのですが、学芸員さんのようでした。最後、「またどこかで」と形式的な言葉をかけていただきましたが、「ぜひ、いつか当館で」とおっしゃるまで帰さなければよかったと後悔しています。
和歌山の学芸員さんに後ろ髪をひかれるわたしを見守る、スタッフの梅木さんと杉先生。
杉先生にもまだ後ろ髪をひかれていませんでした。
杉先生がいたから、
杉先生がいたから!!
後ろ髪ー!
ひかれない!!
ひかれなかったよ!
せんせい……っ
でも、絶対またどうにかして会ってやると思ったので、杉先生なんかに全然後ろ髪ひかれませんでした。
閉館15分前になりました。
最後の、「後ろ髪ひかれない」。
わたしがぎゃーぎゃー騒ぐので、スタッフの方の多くがサポートで庭に出払っている間、ひとり事務所を守ってくださっていたスタッフの時松さんに最終回をお願いします。
どうしよう…、わたしが最後でいいんですか?
恐縮させてしまいました。わたしは、時松さんに後ろ髪ひいてもらえて(強制してすみません)本当にうれしいです。
互いの顔が、
描けました。
後ろ髪と、ガムテープと。
「持ちました!」
では! 時松さんに!
後ろ髪!!
ひかれない!!!
くるみちゃん!
くるみちゃん!!
戻って!! やり直し!! テープ残ってる!!
ガムテープが剥がれずに、後頭部に残ってしまっていました。
今度こそ!
ひかれない!!
ひかれてないです!
にやにや走ってしまった。
さて。
どう終わろう。
4時頃、お客さんに「今日どう終わるの?」と聞かれたのですが、え…! どうって…閉館時間で終わりじゃだめですか……?
終わり方を考えていませんでした。
誰が言い出したのか、山下さんと、ふたりの後ろ髪を掲げて、庭を一周して締めることとなりました。
外は豪雨です。
傘を差していた山下さんも、竿を持つため両手を空けなくてはならず、あっという間にずぶ濡れに。
老体が心配!
行くよ!
遠くに小さくほら、我々の姿。
ただいま!
おつかれさまでした。
本当にありがとうございました。
…… 雨は、止みません。
初日に「若木くるみは天気まで操れる。聖徳太子云々」などと言われてしまったせいで、雨が止まないことに焦って、時間を、引き延ばそうとしたんでしょうかね。
それか、あんまりひどい雨だから、お客さんきっとまだ帰れないし、もう少し見せ場があってもいいのかなというサービス精神によるものだったのかもしれない。
自分でも驚いたのですが、わたしは、玄関口に立ち並ぶお客さんに向けて、台本にまるでなかった「2年目の制作道場を終えて」の挨拶を始めてしまったのでした。
「あっという間だったようにも、信じられないくらい長かったようにも思います」
「まさか、あるとは思っていなかった2年目でした。苦しいと思うこともありましたが、……こうして最終日の朝が来て、そして、今、本当に、終えることが、できそうです。」
「もっとこうすればよかったのではないか、ああすればよかったのではないか。まだ整理はできていませんが、それでも、今日の『後ろ髪ひかれない』は、わたしの今できるベストの表現だったと思います。」
「ありえないほどたくさんの方に応援していただいて…、本当に、恵まれた人生だったと……」
しあわせな、30日間でした。
…ありがとうございました。
……次。
山下さん。次です。
「…。」
「はい。まさかくるみちゃんがこんなタイムを設けるなんて思ってもみなかったので、何も用意していなくて、困ったなあという感じです。」
「(わたしと大差ない月並みな感謝の言葉)。」
「実は、くるみちゃんにもまだ伝えていないことなのですが」
「この場で、皆さんに、くるみちゃんに、宣言したいことがあります。」
「制作道場は」
「今年で、卒業します。」
「来年は、ありません。」
瞬間、轟く雷雨がしんと静まって、わたしは真空地帯に放り出され、ああ……おしまいなのかという寂寞と、だめだったのかという戦慄と、やっぱりなっていう諦念と、少しの安堵と、とにかく説明のつかない凍てつきで頭が真っ白になりました。
AKBの卒業発表よりショックだった。
ショックのあまり、しゃくりあげていたさっきまでの過呼吸がおさまって、ぐっと落ち着いてしまった。あんなに泣き乱していたくせに、まるでショックを受けていないかのように一生懸命平静さを装っていて、なんなの。プライドか?
こんなときにまで、素直になれないの? でした。
お客さんに、自分がどう見られるのかをすごく考えた。
山下さんの卒業宣言を耳にして、みんなまずとっさにわたしのほうを向いたと思うし(自意識過剰かな)、骨身に堪えていることを気取られてはいけないと、思いました。
ないと思っていたプライドがそうさせたのだと思う。
ろくなもんじゃないな。
わたしにだってわかってたもん、来年の話がタブーになってることぐらい気づいてたもんとか、フンだ別に3年目やりたかったわけじゃないもんとか、もうやりきったもんとか、ていうかもうできないもんとか、そうだっけほんとにやりきったんだっけ? とか。すごい低レベルな逡巡。
なんか、お互いの心の中でそっと育んできた「いつ言う? いつ口に出す?」っていうたいせつな別れ話を、全校集会で突然やられちゃって、何それわたしがふられたみたくなってんだけど!! みたいな。
もちろん山下さんの狙いは全然そういうものじゃなかったでしょうし、実際のお話の内容だって、わたしの仕事を立てるような美しく感動的なものだったと思うんですよ。でも、ナイキの耳にはそういうの全然届いてなかったですから!!
このタイミングでふられた! っていうショックで、肝心の、なぜ卒業するのかという情報が全く入ってきませんでした。
人間らしいでしょう。
すっかり明るさを取り戻したふりなんてしちゃってね。
ありがとうございましたー!!
バイバーイ!! (画面右下のたまちゃん…)
あらよっと。
にゃん…
雨は、あがりました。
すごい、この写真でこんなに感動させない文章構成、すごいでしょう。
でへへー。
わたしはこの翌々日、小国を発つため山下さんの運転する車に揺られながら、「山下さん! わたし全然納得できてないんですけど! 3年目やりたいんですけど!!」って直訴するのでしたが、その5日後にはもうひとりで勝手にケロっとして、「やっぱりあれ以上なんてない! (回想5をご参照ください)」ってすっきりしちゃってるので、自分の正直な気持ちにだいぶ編集の入った今の、このタイミングで最終日の日記が書けて、よかったです!!
最終回だからって感動を与えようだなんてちゃんちゃらおかしいですよ!
回想2の山下赤ペンに対する咆哮です。
『思いがけず、感動作品になるんじゃないかな。』
思いがけず、感動作品じゃなくできてよかった。
わたしは、感動に、髪も足も引っ張られずにまだまだ生きていくつもりです、終わらせたくないので。
ひっぱりにひっぱった全7回に渡るこの回想日記に、「女心と秋の空」とかいうタイトルをつけてひとつの企画にしたいぐらいだ。
なんて。
強がりましたが、この日ガムテープに皆さんが描いてくれたわたしの顔を、自分はこれから何度も何度も胸に広げて、一生。
一生支えにしていくのだと思います。
土砂降りの中、スマホ水没をも恐れず、身をなげうって撮影してくださった江藤さん、
立体造形が天才的にできないわたしの依頼を、道場主が眉をひそめようとも叶えてくださった梅木さん、
片付けるそばから事務所を荒らしまくるわたしに文句ひとつ言わず片付け続けてくださった時松さん、
スタッフでもないのに連日美術館に来ては作品作りに協力してくださって、さらに自主練の面倒までみてくださった杉先生、
みんながいたから、できました。
若木くるみとみんなの制作道場、2014。
ファイナルです。
みなさん ありがとうございました!
---------本日の学芸員赤ペン-----------------------------------------------------------------------------------------------
本日は長いので赤ペンも独立。
こちらをご覧ください。
(本日の学芸員赤ペン ー「後ろ髪ひかれない」回想7へー - 若木くるみの制作道場2014)
長いですよー。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
後ろ髪ひかれない 8月31日 回想6 断髪式の模様
本格的に降り出した雨を機に、走るのを中断して断髪式を敢行しました。
山下さんのこの結わえた後ろ髪、「ちょこん」を根元から伐採します。
ちょこん
ちょきん
採れた。
ぎええ!
山下さんの後ろ髪完成。
次は頭皮に残った髪の毛をきれいに剃り上げます。
わたしは他人さまの肌に初めて剃刀を当てがいました。
すごいやだった、なんでわたしがこんな目に! と思いました。
わたしはだいたい、ふつうの女の子が大好きで、かわいい女の子がちょっとサイケデリックなファッションしてたりするだけで、しゅんとなってしまうんです、もっと他の道もあったんじゃないの? とか思って。
10円ハゲ作るだとか本当にもっての他なんですけど、もういったいなぜ「普通奨励委員会」会長の自分が山下さんの髪の毛を剃らねばならないのかと思って、しかも若木くるみのために! 若木くるみ当人の手で!! もう何がなんだかわからずアイデンティティが崩壊した。
そんなうれしそうな顔しないで! と思います。いつ見ても。
震えながら剃りあげた10円ハゲ(実際は500円玉相当の大きさ)に、自分の顔を描き入れます。
口を尖らせているのは、似顔絵と自分とが似るよう、願いながら描くためです。
口よ尖れ、口よ尖れ
見守るギャラリー。
できた。
わたしの頭を撫でていたわる山下さん。
もうわたしはこの時、抑えきれない激情に駆られて地に伏せって口から濁音をほとばしらせていたのですが、あまりにも平常心を失っていたためにいつ嗚咽したのかの記憶も定かではない。はさみを入れたあとなのか剃刀を入れたあとなのかペンを入れたあとなのか、それとも諸々の最中だったのか。
一応、今日のこの一日だってひとつの作品なのに、パフォーマンス中に自分がこんなにコントロールがきかなくなるとは思いませんでした。
お客さんのまなざしが本当にあたたかくて、ごめんなさいと思いました。
10円ハゲに貼るガムテには、山下さん自身がわたしの顔を描いてくれました。
ってことはわたしは自分の後頭部に貼るガムテに、やはり自分で山下さんの顔を描いたのだと思うのですが、山下さんに顔を描いてもらったことも、自分の手で顔を描いたことも、写真を見ても記憶が全く蘇りません。
山下さんによる自画像
手のひらに貼られたガムテに、わたしが山下さんの顔を描いているところ?
記憶にない。
それぞれの後頭部に、互いの顔のガムテープを貼ったら、準備完了です。
ガムテハゲを後ろ髪でじょうずに隠して、
ガムテと後ろ髪とをいっしょにつかんで、
せーの、後ろ髪!!
ひかれー!!
な!!
い!!!!!
後ろ髪、ひかれませんでした。
まだこれで終わりじゃないんです、これからもまだ後ろ髪ひいてくださった方々がたくさんいまして、……次の更新は…明日かな…。
番外編
10円ハゲでもお仕事にいそしむ山下さん。
---------本日の学芸員赤ペン----------------------------------------------------------------
今日は薄っぺらな言葉を使ういつもの私がお送りします。
最終日の日記の回想3から引っ張り続けた私の後ろ髪ネタ。
ようやくはさみと剃刀が入りました。
私は朝から静かに張り切っていたし、スタッフにもギリギリまで言わなかったし、もちろんお客さんにも内緒だったし、くるみちゃんも自分のことより緊張してる雰囲気で真剣にショウアップしてくれようとしていました。
制作道場の最終日を飾れるなら、後ろ髪を剃るくらい喜びでこそあれ、何の支障もない。
・・・というのはうそです。「社会人として支障のない範囲で」なら何の支障もない。微妙な思い切りですみません。
しかしこの、小さいながらもちょっとした崖から飛ばないといけない行為が、「後ろ髪ひかれない」に秘かに真剣さをプラスしたと思うし、ここにとある決意があるということをリアルに伝えることになったのではないでしょうか。
友人はじめ、お客さんたちに、私の小さな決意を見てもらえたのがうれしかったし、くるみちゃんを泣かせたのもうれしかったな。そして、写真の中の私がとても晴れやかな顔をしているのもうれしかったな。
後ろに小さな顔が出来てから、私は不思議な全能感に包まれていました。全能というより選ばれたって感じかな。
「こう見えて私、実は後ろに顔があるんです。」
ちょうど妊娠初期の感じに良く似ていると思いました。まだお腹は全然目立たず、外から見ただけでは妊娠しているってわからないけど、「実は私、お腹に小さな人がいます」みたいな、特別な人になった気持ち。
くるみちゃんはそんな感情「信じられない!」と叫んでいましたが、後頭部に子を孕んだ私は、小さなジョリジョリを時々触ってはその存在を確かめ、一人優越感に浸るのでした。
いつかはこれが伸びてなくなってしまうことを小さく恐れながら。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
後ろ髪ひかれない 8月31日 回想5
日記をあと一回で終わらせるとか言ったもんだから、改めてすべてを見直してよくよく練ってから書かなくてはと、最終日の更新をほったらかしにしてこれまでの30日間をさかのぼっていました。
納得がいかずにまだ一度も読み返せていなかった序盤の日記。
たったひと月前の出来事だとは信じられません。
書いたら書きっぱなしだった出だしのあれこれは、文法が何か変だったり語句と語句の順序がおかしかったり説明不足だったり段落が唐突だったり、パッと読んだだけでも苦笑してしまうくらい読みづらかったのですが、何喰わぬ顔で、ぱちぱちっと! 編集してしまいました! 紙媒体じゃないって最高! いつでもいじれる最高!
しかも、読めば読むほど、……ちょ、ちょっと待っておもしろいんだけど! って……。
想定外の心変わりに、今、激しく動揺中です。
信じられない。
小国を発つ日にあれだけ山下さんと大号泣の大反省会を繰り広げたのに!
つい昨日までは、悔しい悔しいってあんなに身悶えしていたのに!
アメージング!!
…………………………情緒不安定か? 躁か。
いやあー、山下さんと、「うまくいかなかったって同じ感想を持っていたところが、やっぱり、ともにつくりあげてきた展覧会だったんだね! キラキラ!」みたいな、手と手を取り合って少女マンガみたいなウルウルをまき散らしていたのに、山下さーん!! わたし! なんと! ここにきて、今年もやっぱりすごく良かった気がしてきちゃいましたー!!!
どうかな。日常に戻ったせいかな。
社会人みたいにまた働き出して、自分が小国でのあの「若木くるみ」ではなくなったせいかもしれません。
わたしじゃないだれかがやっていた「制作道場」だと思って見ると、公平に見て、決して悪くなかったのではないか? というか、悪かったはずがないではないか。
わたしは記録に残る自分の姿があまりにもいきいきして見えるので驚いた。
山下さんがいて、身を粉にして支えてくれたスタッフの皆さんがいて、今年も去年と同じ4日目に来てくれたカカシのカップルとか、トラバターのお姉さんたちがいて、何度も通ってくださったあの方この方がいて、それからゲスト赤ペン先生がいて、遠方からはるばるお越しくださったあの方この方がいて、真剣なアドバイスをくださったあの学芸員さんこの学芸員さんがいて、企画書を考えてくださったあの方この方がいて、相談を聞いてくださったあの方この方、手伝ってくださったあの作家さんこの作家さん、協力してくださったあの先生この先生、会ったの初めてだったけどかたい握手を交わしたあの方この方、笑顔で迎えてくださった小国中の生徒の皆さん、…もっと、もっと。
もっともっと、です。
一生かかってもここじゃなければきっと味わうことのできなかったまぶしい出会いに彩られたこの展覧会が、だめだったわけがなかったでした。
って、今の今は思っているのですが、どうでしょう。
書けば書くほどクソ暗くなる数日前の日記に、自分でもまずいなと思って、「大丈夫! これからおもしろ方向に舵取りするから!」なんてうそぶいていたのですが、先の見通しなどもちろんちっともありませんでした。
それが今、まさか本当にここまで気が晴れているなんて。
わからない。自分で勝手に決めたルールに基づいて、わたしは平気で自分ごと騙しにかかるんだろうし、自分の何もかもが全然信じられませんが、だからこそ、この持続しなさすぎる感情のありのままを、出来る限り書き留めておきたいと思う。
……そういう制作道場の毎日だったように思うし。
山下さんの計画していたであろうこれからの赤ペンの構成や、自分だってどこかである程度目処をたてていたはずの日記の進路をぶったぎってどこでもないところに不時着しそうですが、やっぱりわたしはそうありたかったんだと思う、安心させたくなくて、ハラハラしたくて、めんどくさくてすみません。
でも、実際、みんなでつくってきた制作道場だったからな。
山下さんと、感傷をエサにして互いの後ろ髪をひっぱり合いまくったここ数日間でしたが、それは反省の段階を越して、気持ちよくなりたいだけのもたれ合いだった気がする。
そんなことないよ! っていう反論赤ペン待ちでしょうかわたしは。
ずるいな。
自分のこの急激な心変わりを吸い込んだ秋空が、小国と京都とを等しく結んでくれますように。
…って、あれ? 最終日の日記書くはずがまた総括してた。
なぜだ。
まあ紙媒体じゃないからいつでも上書きできるからと思って、センチメンタルとドライアイとを行き来しながら、本当に次は最終日の日記を書くつもりです。
明るい心持ちのまま、キープしたいです。
がんばります……。情緒…。
---------本日の学芸員赤ペン--------------------------------------------------------------------
ここへ来て日記の思いもよらない舵取り。
くるみちゃん、あなた、この日記の回想3までは悔しさのあまり震えてたんじゃなかった?
それがいきなり今年もサイコー!って。
いや別に、今年もサイコー!に異論は全然ないけど、いきなり一人でさっさとトンネル抜けちゃって、まさにコペルニクス的転回。コペルニクス的転回、意味がわからなければ辞書で調べて下さい。
もうね、今日は感情的に書かせていただきますよ。
まさに「この持続しなさすぎる感情のありのままを、出来る限り書き留めておきたいと思う」ですよ。私は今はまだ持続してるけどね。
この30日間は、私にとっても特別の30日間でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、終わってからの日々は、たびたび押し寄せる激情の渦に飲み込まれないように、何とかやっと立っているという感じです。もう10日もたとうとしている今、表向きには普通に仕事をしていますが、出力を最大にしても100のうち2くらいにしかならないポンコツ自動車にでもなった気持ちで、息すら小さくして過ごしています。自分でも驚くような激しい感情をやり過ごすのが精一杯。
でもさすがに40年以上生きてくると、この感情も何かのきっかけで落ち着く先を見つけて静かに波が引いていくことがわかっています。だからこんな20歳の女の子みたいな「胸が苦しいんです!」的発露、本当に恥ずかしいし、馬鹿みたいだし、きっと後で読み返すと今度は穴にでも入りたくなっちゃうことはわかってるんです。
でもねくるみちゃん、「山下さんと、感傷をエサにして互いの後ろ髪をひっぱり合いまくったここ数日間でしたが、それは反省の段階を越して、気持ちよくなりたいだけのもたれ合いだった気がする。」って、わかってるよそんなこと。大いにわかってるよ。でもそうしないと、着地点が見つけられなかったし日常の中に戻っていくことができなかったんだよ。そして私はまだ今でも見つけられないでいるんだよ。
馬鹿だと言いたい人は言えばいいし、酔いしれていると言いたい人は言うがいい。ウザけりゃウザイで結構。
私にとっては、「今年もサイコー!」と、この感情の激流は一致しないのだ。「今年もサイコー!」は実際そうだったし、各自いろいろ思うところはあったとしてもそれはそれで前向きな反省。学芸員としてそこはいくらでも何でも言って差し上げる。でも今年がサイコーでも何でも、私の中で流れ落ちる激情の瀑布は、増加こそすれこれっぽっちも減じない。それは、サイコーかどうかよりも、「制作道場」を失ったことによる、自分が思っている以上に深く鋭利な喪失感によるものだから。
知っている感情の中で私の中のナイアガラ瀑布に一番近い感情は恋。それも失われた。振られたのではなく、終わった。どうしようもできないやつ。
鼻で笑いたければ笑えばいい。失笑、苦笑結構。
驚くべきは、これが、「展覧会」の喪失で起こっている感情だということ。
展覧会よ?てんらんかい。テンランカイ。展覧会でこんなことになるなんて考えもしなかった。
もちろんこの展覧会「制作道場」は、くるみちゃんあってのことですが、くるみちゃん単体の喪失ではなく、くるみちゃんと共にある「制作道場」が手をすり抜けていってしまったことが、私を立ち上がれないほど打ちのめしているのです。
「ロス」なんて簡単な言葉でくくってくれるな。
でも、展覧会を失ったことで、食事も喉を通らず、深呼吸も出来ず、油断すると涙腺が決壊するような経験をしている学芸員なんて、世界中でもそうはいないはず。「制作道場」が私をこの点において(だけ)稀有な学芸員にしてくれたのです。かっこつけた学芸員風解説で語れば「かけがえのない展覧会」とか言うんでしょうけど、そんな心のない薄っぺらな言葉使うな、いつもの私。
嗚咽をこらえるな。
ああ、つい激情にふりまわされてしまいました。なんか吐き出したらちょっとすっきり。はらわたトークにお付き合いいただきありがとうございました。
だいたいさ、くるみちゃん、日記全部書いてから総括するって言ってたじゃん。こんな風に途中に総括挟まれてもさ、赤ペン書きにくいし、くるみちゃんの日記の時系列からして「喪失」の本当のところはここでは語れないし、もう、ほんとに。
しかし、たとえ目まぐるしい日記に振り回されながらも、こんな風に愚痴りながらくるみちゃんに赤ペン書けるのは、「かけがえのない展覧会」あってこそなのですわ。ね。
ドライアイなら目薬さしな。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
後ろ髪ひかれない 8月31日 回想4
反省モードに入るととめどなく後悔が溢れ出して、楽になりたい一心でつい自分を痛烈に糾弾してしまいましたが、しまった、そうすると赤ペンにも「自分のせいで」って苦しませてしまうんでした!
結局、会期中山下さんに自分の鬱屈をなかなか正直にぶつけられなかったのは、連帯責任だと思わせるのが忍びなかったからでもあった。志気が下がるのも心配だったし。
でもそうすると、わたしはネガティブなことを決して、チラとも考えてはいけないということになるな。八方美人は八方ふさがり。わたしは自分にもいい顔しようとしたし、周りにもいい顔しようとしました。手のかからない作家でいなくちゃ…みたいな。(とてもそうは思えないでしょうが。)
八方不美人のほうが、周りはやりやすかったんだろうなあ。そして去年はそれがとても自然にできていた…って、はっ! また! 去年の話!!
ここからは、身を切られる思いで山下さんへの不美人を全開にしていきます。
最終日の朝、山下さんからの突然の「今日わたしも後ろ髪剃るから。」宣言をくらって、正気を疑う自分の絶叫が車中にこだましました。
大丈夫だよ十円ハゲくらい髪で隠せちゃうし、とか、十円ハゲ、前ほんとに出来たことあるもん、などと説き伏せられて衝撃の第一波は去り、同乗していた友人の武内さんも、「わたしもこれからくるみちゃんと旅行するとき十円ハゲ作ってそこにちっちゃい顔描こうかなって、前から話してたじゃん」とかのんきなことを言い出すのですが、でも、武内さんの十円ハゲと山下さんの十円ハゲとでは全然重みが違うっていうか…。
なんで、って…、だって、や、やっぱり……お年だし……?
今剃った髪の毛がまた生えてくるなんて保証ないし…。
十円ハゲの可愛げという点で、山下さんの年季の入ったハゲって相当重いっていうか、ただ、だからこそ、それはおもしろいに決まっている! ずるーい! という気もちょっとしました。
最終日の朝9時が来ました。
開館です。
おひさまの注ぐ中、初めて会う方にも、顔見知りの方にも、そんなつもりじゃなかったであろう方にも、本当に多くのお客さまに、顔を描き、後ろ髪をひきしていただきました。
しあわせカップル(男性)
しあわせカップル(女性)
カップルはわたしが彼らと同い年だと知って愉快なリアクションをされていた。
武内さん
今朝、わたしの後頭部を7cmくらいてっぺんまで刈り上げてくれました。
ぬるゆさん
ぬるゆさんおとうさん。
おしどり夫婦です。
一月半、ご夫婦の離れに滞在させていただきました。人情を毎日毎日浴びました。
熊本の作家、ホーリーメンさん
昨年の他力本願寺にお参りしたおかげで、作品が特別賞をとれたそうです。でも、他力本願寺じゃなければ大賞だったんじゃないかな…。
他にもみなさんそれぞれにエピソードは満載なのですが、見返せば見返すほど胸のきしむ、和やかな「後ろ髪ひかれ」てない場面を、どうぞ写真にてお楽しみください。
本格的な雨模様になる前にひいてもらった後ろ髪の数々はだいたいこんな感じだったと思います。
ぶらさがった後ろ髪に合わせて、わたしは低い位置からスタートを切りました。
後ろ髪! ひかれ! ない!
もっと速く、もっと遠くに!
そう念じて、前かがみのままつんのめって次の足を飛ばしました。
踏み込むごとに体がちょっとだけうずもれるこの感覚!
石と石が足下でじゃかじゃか爆ぜるこの音!
初日にはずっしり重くうるさく感じた砂利道が、今日は楽団のマラカス隊みたいににぎやかな音色を響かせていました。
ここで起こった30日間のすべてを余すことなく体に叩き込もうと、足裏に踊る石ころを蹴散らしながら、一直線に美術館の前庭を駆け抜けました。
ジャッジャッジャッジャッ、後ろ髪ひかれてない!
ジャッジャッジャッジャッ、後ろ髪ひかれなかった!
このあと、土砂降りに。
ひっぱってすみませんあと一回で終わらせます!
---------本日の学芸員赤ペン-------------------------------------------------------------------------------------------
くるみちゃん。
年季入ってても髪、生えるし。
お年頃にまつわる発言については、私はなに呼ばわりされても作品の一部として光栄に受け取りますが、私の背後には、+zenメンバーはじめ同世代のみなさんがずらりと控えていることをゆめゆめ忘れないようにと、昨年から口をすっぱくして指導してきたはずです。
それなのにまたもやこんな発言しちゃって、じゃあ私と同い年のゲスト赤ペン竹口師匠はどうなるの。ねえ、竹口さん?
・・・あ、いや、今のはあの・・その・・・。
今後鬼の学芸員改め、傍若無人学芸員を名乗ります。すみませんでした。くるみのせいです。
さて。
いよいよスタートした最終日。
町内放送で「若木くるみ展がいよいよ今日までとなりました」とガンガン流した甲斐もあって、最後だから見に来たという町内の方も続々と集まってきました。町外の方ももちろん。初めて立ち寄った方、常連の方、去年も来てくださった方、会期中とてもお世話になった方々、さまざまな顔ぶれが庭にも館内にも揃い、美術館とくるみちゃんを楽しみながら、一人ずつ後ろ髪を引いてくださいました。
そもそもこの作品は、くるみちゃんの後頭部と巧妙にサイズをあわせた髪の毛が宙に浮かんでいる異様な光景からスタートします。ガムテープ部分の説明を除いて極簡単に作品の構造を申し上げると、くるみちゃんの後ろ髪となるこの髪の毛をぐっと引っ張ることで、お客さんは「くるみちゃん、行かないで!」を表現し、くるみちゃんはそれを猛然と振り切ってダッシュすることで、「ありがとう!でも行かなくちゃ!」を表現します。
しかし表面的には爽やか切ないストーリーをまとっていながら、走り出す姿を後ろから見ていると、おかっぱだと思っていた頭からぱかっと真白き後頭部が生まれ、本当に髪の毛を置いてっちゃったみたいに見えます。不謹慎ながら、おカツラが少々、おズレになっている方を発見したようなおかしさ。あぁっ!見てはいけないものを!みたいな。
そもそも本来、後ろ髪をひかれるのは、ひかれる側が主観的にそう感じるものであって、頼んでひいてもらうものではない。しかしこの作品は、強制的に後ろ髪をひかせた上に、頼んだ本人は後ろ髪を振り払って走り去ります。
走り去るあなたはいいけれど、私たちの手にはあなたの後ろ髪と皮膚が残るのよ。私もあの人もあの人も、あの人もあの人もあの人も、くるみのかけらを手元に残されてしまったのよ。ガムテープを握る指先に伝わるベリッと皮膚がはがれる感触は、知らないうちに私たちの見えない何かをもベリッとはがしているはず。チリチリと痛むその皮膚に、くるみをすり込んでいっているのよ。そうなったら後ろ髪ひかずにはいられないじゃない。
くるみちゃんにとって後ろ髪ひかれないための装置だったものが、いつの間にかみんなとっては後ろ髪ひかずにはいられない装置になり、同じ装置で逆ベクトルの気持ちが行き交います。お客さんが描いたくるみちゃんの顔と、くるみちゃんが描いたお客さんの顔が表裏一体となった後頭部ガムテープは、そのベクトルの交差点。いろんな表裏が集まれば、それはもう表裏だけじゃなく、横も斜めも上下もぐるり世界が一体となった交差点。
私も、年季が入っていようが重かろうが、その交差点目指して髪の毛剃るよ。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子