小国野菜のお弁当(今年も)
昨日戻した乾物を、今日は料理します。
乾物の総量は汗を吸っておよそ2kg重くなりました。
しかし、完全に戻るほど柔らかくはなっていない乾物も多く、昆布や椎茸は前日のうちに水に浸けて下準備をしておきました。
ところで、うちの母はラーメンが嫌いでした。味が嫌いならわかるのですが、なんというかもっと、ラーメンの存在自体を認めておらず、料理するのも嫌がっていました。お鍋の中で急に膨らむのが気持ち悪いとか言って。
父の好物はラーメンなので、父に対する意地悪パフォーマンスですか? と当時は思っていたのですが、今になって、もしや母はラーメンに男根を投影していたのではと勘繰るようになりました。
大きく膨張するアイテムへの嫌悪を、ラーメンに託して娘に刷り込むという洗脳教育の一貫だったのではないか? …なんてね。
話がとびましたが、小動物が可愛らしいのは小さいからに他ならないとわたしは思います。だいたいのものはサイズを小さくするだけで漏れなくかわいくなる。ということは逆もまた然りで、大きくなった昆布や椎茸を、わたしはやっぱり、少しこわいなと感じてしまうのです。自分の優位が揺らいだようで。水を張ったボールからぐわっとせり上がってひしめいている昆布からすると、わたしは昨日よりも小さく見えているはず。成長してからしばらくぶりに実家に帰ると、あれ⁉︎ このコップこんなに小さかったっけ⁉︎ 家の前の道路はこんなに狭かったのか! とびっくりすることがありますよね。それと同じで、一晩置いた昆布も椎茸も、「うおっ、この人今日ちっさくなってるなあ」と目を丸くしているのでは? と思ったのです。
…などということを普段から考えていたわけではなく、今回、料理するだけでは作品にならないと焦って急遽編み出した設定なので、どう表現するかが難しかったです。
自分に山折線を描いて、その内側に昆布から見た縮み率を実線で示しました。
七分袖の上下に、洋服から伸びた小さな手足も描き加えます。
マニキュアも。
これで準備万端。いよいよ料理に入ります。
美術館スタッフさんの各家庭から調味料や調理道具、器を貸していただきました。
お客さんに見守られながらの料理。つまみ食いがしづらくおちつきません。
乾物と小国野菜を組み合わせた料理が並びました。
⚫︎干し椎茸と茄子の煮浸し
⚫︎高野豆腐と大根、スルメの炊合わせ
⚫︎かんぴょう、切干大根、昆布、椎茸、人参のお煮しめ
⚫︎ぜんまいと乾燥糸蒟蒻のきんぴら
⚫︎イカの昆布巻き
⚫︎春雨とニラの胡麻和え
⚫︎ワカメサラダ
⚫︎昆布とゴーヤのすだち寒天寄せ
⚫︎ドライフルーツヨーグルト
⚫︎寒天ゼリー
あまりダシ(汗)の染みていない野菜を選り分けて、お客様にも実食していただきました…。
決して出してはならないのがリストバンドとして汗を拭きまくっていた高野豆腐です。
高野豆腐の元々高い栄養価に汗ミネラルもたっぷりプラスされています。
わたしはおいしくいただきました。
ごちそうさまでした。
しばらく乾物(汗物)常備菜で食いつなぎます。ありがたや。
番外編
戻しスルメの編み込み
靴下を履いたイカ
(イカの欲張りクリスマス)
⚫︎アップすると文字の大きさが勝手に変わってしまいます。
文字まで膨らむなんて……。
-----本日の学芸員赤ペン----------------------------------------------------------------
昨日の作品もかなり「ギリギリライン際」作品でしたが、本日はさらに一歩踏み込んで、生理的な許容度もぐぐっと厳しくなった作品となりました。
まあ、昨日の作品の企画書が出された時点で、汗で戻した乾物をくるみちゃんが食べないはずはないと思っていましたが。
ところでくるみちゃんは、実は料理上手で、先日打ち合わせで京都の自宅にお邪魔したときも、手際よく美味しい料理を次々に出してくれました。一人暮らし(今はお父さんと一緒)ながら調理器具や調味料もちゃんとしたものがちゃんとそろい、シンクは磨かれ、きちんとしたご両親のもとで丁寧に育てられたお嬢さんだなーと思いました。
そんなくるみちゃんの一面を、今日は存分に見ていただけたのではないでしょうか。そもそも乾物を使った料理は、料理ヒエラルキーの中でも上位に位置するもので、乾物をうまく使いこなすことができれば料理上手と言って間違いないでしょう。
スタッフが持ち寄ったステキな器に盛られた数々の料理が並ぶ姿は、まるで小料理屋のカウンターのようで、実に向田邦子的。贅沢にとった出汁の濃厚な香りと甘辛味の香ばしい香りがただよい、どうにもこうにも美味しそう。ついうっかり「食べたい!」と思ってしまうのです。まあ、食品添加物などに比べれば、ずっと身体に害のないものではあるのでしょうが、やはり・・・ねえ。
今日の作品は、美術の作品としてどうなのか、よくわかりません。しかし、昨日からの連作として、自分の汗で戻した乾物を実際に料理して食べるというインパクトの大きさには、ちょっと比類ないものがあります。そしていかにも美味しそうな料理と、あげた箸をぐっと押し留めさせる調理過程の生々しさ。そのギャップもトラウマになりそうな衝撃を与えます。
昨日の作品は、滑稽ながらも他人の身体の内側を覗き見したような気まずさを伴うものでしたが、今日の作品では、その料理を食すことによって、他人の身体が有無を言わせず私の身体の内側まで侵食してきています。そもそも口から排泄口まで繋がる私の内臓は、身体の内側なのか外側なのか。どこまでが私を形作る境界なのか。
口から手を突っ込んで内臓をぐるっと表に返されたような、そんな想像へとたどり着くのは、やはりこの作品がただのお料理作りではなく、美術である証拠。
ニコニコと手際よく美味しそうな料理を次々に作るその手で、どっかんどっかんとバズーカを打ち込まれた気がします。
追記:「小国野菜のお弁当(今年も)」というタイトルの由来は、ぜひこちらをご覧ください。
http://sakamotozenzo-events.hatenablog.com/entry/2013/08/03/073914
しかし「(今年も)」と言っておきながら、昨年のタイトルは「朝どれ野菜のお弁当」です。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子