8月1日 馬力ジョーバ
はじめに
下書き中は同じ大きさだった文字が、なんでかアップすると途中で変わってしまうのです。
字の大小は意図したものではないので、ご理解のほどよろしくお願いします。
どなたか原因がわかる方ご指南ください…。
馬力ジョーバ。
まず読み方です。
「ばりきジョーバ」と思ってつけたのですが、「バカジョーバ」とも読めるし、「馬か(or)ジョーバ」もあり得ます。
意図したわけではありませんが、今日は、まさにそういう作品でした。
写真をご覧ください。
馬はご想像の通りわたくしなのですが、わたしが乗っているこちら、見慣れたあのシンプルなルームランナーではございません。なんと発電装置つきなのです。走って発電ができてしまうルームランナー、どこから湧いて出たのかが気になるところですよね。家の押入れから掘り出してきました。
ずっと以前、個展のために発電マニア(?)の方に発注して数万円でつくっていただいたのです。でも、こんなぼんやりした説明しか出来ないほど、後のフォローを怠り続け今やお名前もご連絡先も忘れてしまいました…。
確か香川か徳島か、四国の何処かの先生でいらしたはずです。
当時パソコンもろくに使えなかったわたしが、知人に頼んでネットで発電に詳しい方を探してもらい叶った企画だったのですが、もう二度と発電をテーマにすることはあるまいと思って記憶ごとルームランナーを倉庫に閉じ込めてしまった。
先生、今また使わせていただいています。ご報告もできずに申し訳ありません。
そして、ジョーバとは、乗馬運動の動きで体を鍛えるフィットネス機器。
スタッフの梅木さん宅に眠っていた、レッグマジックに次ぐ秘宝です。
(こちらはジョーバじゃなくてロデオボーイという商品なのですが、ジョーバなるもの、ということでジョーバ呼ばわりさせていただきます。)
…以上の説明で、ピンときてくださいましたか?
「懸命な読者諸君はもうお気づきであろうが」というところで気づけたためしが無いと知人が嘆いていましたが、気づいてほしいです。
馬が走った発電エネルギーでジョーバを動かすから、馬力ジョーバ。
おもしろいですよね、文句ないですよね、でも、ジョーバ、全速力で走っても、ウンともスンとも、動きませんでした…。
バカでしょう。しかもなんとなく、馬orジョーバ? って感じも、するでしょう……? 自信がないからこんな口調です。言ってる本人もよくわかっていません。
ジョーバは動きませんでしたが、ラジオなら元気に鳴りましたよ!
↑ジョーバに座っている白いのが防災用ラジオ。流れるのは小国チャンネルのみで選局は不可。
ジョーバも、ルームランナー発電で電源ランプは赤く灯るので故障ではありません。
せっかくなので乗ってみたいよね、ということで、電源エリアまで移動してコンセントをぶち込み、九州電力さまのお力で動かしてみました。なかなかの揺れです。
二人乗り。 御すのウマいね!
馬力でジョーバは動かせませんでし
た。
ところで、今民家の離れをお借りして住んでいるのですが、帰ったらこのような心温まるメモとともにお麩の唐揚げが置いてあって、は!! 汗が染みていない乾物!! と思って、突進して手づかみで貪り食った。
それから、とても素敵な女将さんに、日夜汗で戻した乾物を食べてるとか知れたら追い出されそうだと思って、嘆かわしかった。
--------本日の学芸員赤ペン--------------------------------------------
本作は、発電できるルームランナー※を、アイディアに困ったときの切り札として京都のアトリエから持ち込んでいたことに端を発します。すべては発電ルームランナーありきです。あとは、こちらも持参していた馬のお面と美術館スタッフ宅から発掘された乗馬マシーンが駄洒落的に組み合わされたものであり、言うなれば、これらの小道具は「発電する」ということの装飾にすぎません。
というわけで今回の作品は、なんと言っても発電ルームランナーが素晴らしいのです。
発電ルームランナーは、非常にコンパクトにできていて、どういう仕組みになっているのか私にはわかりませんが、ルームランナーの回転軸に繋がった小さな発電機が、市販のインパクトドライバーのケースに収納できるようになっていて、そのケースに、車のシガーソケット用のコンセントが接続できるようになっているのです。非常にシンプルでコンパクトで扱いやすいこのシステムが、どこにでもあるような既製品を利用して作られているところに、製作されたどこかの先生のアイディアの柔軟性を感じますし、工夫したり工作したりすることが好きでいらっしゃる感じがよく伝わります。
しかしこの素晴らしいマシーンも、「ルームランナーで発電したい」という発想がなければ生まれてこなかったものです。ここにこそゼロから1を生み出す作家の本領があると言えましょう。「走って何ができるか」というのは、くるみちゃんの作品において一つの重要なモチーフとなっていて、本作にも、「走る以上はそのエネルギーを何かに変えなきゃもったいない」という思いがつまっています。
「どうせ走るなら発電できたらいいのに」。
私たちもそんなことが頭によぎったことがあるかもしれません。口に出したことがあるかもしれません。でも、実現できるとは思わないし、実現しようともしません。でもそれをやってしまうのが作家であり、やっていいのが美術なのです。その行為がどんな意味であろうと関係ない。ルームランナーで発電する行為を「作家の健気な努力」と感じようが、「エコって大事」と感じようが、そういうことは私たちが後から勝手にやればいいことで、作家は思いついちゃったことをずんずんと実行すればいいのだ。そしてその自由さに私たちはひきつけられるのです。
とは言え、これまでに仕事を一緒にしたことのある現代美術家の皆さんは、思いついちゃったことを実行する際にある程度明確な道筋が頭の中にあって、それを実現するために周囲と細かな打ち合わせをしていたように思います。もしくは、自分でそれを実現する技術を持っていたり。でもくるみちゃんの場合ちょっと様子が違っています。本人の中で、発想と具現化までの間に断絶がある。例えば「ルームランナーで発電したいなー」と思いついちゃったら、それをとにかく周りのいろんな人に話したり、グーグル先生にご相談したりして、問題を自分の周辺部にポイっと投げ込みます。投げ込まれたほうは何だかおもしろいのでついいろいろ考えてしまったり、ついつい解決してしまったりしてしまうのです。まったくもって、くるみちゃんの制作自体がそもそも「自問他答」じゃないか。
しかし、こんな風に自分の中に全く方法論がないことを思いつき、突き進むための現実的な道筋がないままにスタートするところが、くるみちゃんの作品の自由度や開放性を生んでいるのかもしれません。
そして「懸命な読者諸君はもうお気づきであろうが」、既に3日目にして困ったときの切り札の1枚をきってしまっているところも、くるみちゃんの自由度からきている・・・のかもしれません。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
※もともとは2010年に開催された個展「モーターさま」(会場:ギャラリー恵風・ギャラリー其の延長 いずれも京都市)で発表されたもので、そのときは、ルームランナーの足元のベルト部分を版にして、輪転機のように次々に版画を刷り続けながら発電し、かつその電気で充電された電池を使って、他会場の小さなモーター仕掛けの装置を動かすという大変凝った作品でした。