8月2日 中学生ワークショップ うらの顔

小国中の生徒さんが美術館に来る全6回のワークショップ、今日は初日です。

 

今年のワークショップどうしよう。

 

悩みに悩んでなかなか決まらなかったアイディアですが、制作道場2014のポスター撮影の際、美術館の庭で合わせ鏡を使って自分で顔を描いていると、お客さんがとても感心してくださるのです。

うしろ手で顔を描く技は昨年の制作道場が終わってすぐ習得し、すっかりマスターした自分にとってはおなじみの芸だったのですが、実際に描いている姿を初めて生で公開してみて、反響の大きさに驚くとともにまだまだ後頭部が十分通用することを確信しました。

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 が、まさか中学生に後頭部を剃らせるわけにもいきません。

ワークショップ枠でなく自分ひとりで黙々と後頭部を描きかえていく、孤独なプランを思っていたのですが、どうにもワークショップ案が出ず煮詰まっていた時に山下さんが、うしろにお面をつければ中学生でもできるよね、と見事な解決策を見いだしてくださったのでした。

 

 タイトルは「うらの顔」。なんか深そうだと思ったから。

 

 雨が降ったりやんだりの不安定なお天気の中、6名の生徒さんが集まりました。

今年は室内で実施します。

 

 見覚えのある小国ジャージがなつかしいです。みんなが小さく見えるのは自分が大きく膨らんだからなのでしょうか…。

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 用意したのは、お面の土台になる画用紙とゴムひもとはさみ、そして画材のマッキー。シンプルな道具です。

 

まず、わたしが自分の顔に実演してみせます。鏡を使わず勘のみで顔を描くのは初めての体験です。

 ペンの動きを途中で止めずに、流れで一気にパーツを描いてしまうのがコツだと感じました。

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 「うらの顔」というタイトルを意識して、「わるい」表情を目指しました。

 描き終えて鏡で確かめると、まずまず、思い通りのふくれっつらが出来上がっていました。

 

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後頭部を剃っていない中学生のみなさんは、まず四角い画用紙をまるく顔の輪郭に切り取る作業から。

 ゴムひもで後頭部にお面を装着して、準備はOKです。

 

ひとりずつ、チャレンジ。

わたしも、自分以外の誰かが「うらの顔」を描いているのを見るのは初めてのことです(昨日山下さんが実験された時、わたしは馬になって走り続けていたので、実験結果の完成図しか見ていません)。

第一番に指名されてしまった男の子、ペンを握った手を頭のうしろにまわしたまま、なかなか画面に色を置けません。

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勇気は、出さなければいけない場面はもっと他にあるはずだから、肩の力を抜いて、これは学校の授業でも試験でもないのだから。

「適当でいいんだよ!」と言いたくて仕方ありませんでしたが、そんなことを言うのは悪い教育かなあと気にしてブレーキを踏んでしまいました。

 

福笑い状態になったお面に、観衆から笑いがこぼれます。

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6名全員が「うらの顔」を描きました。

 (写真4名分しかなくてすみません)

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 だいたい、みんなそんなに大差なく、素朴な顔が揃いました。

 

これで終わりではありません。画用紙は両面使います。今度は「うらの顔」を裏返して「うらのうらの顔」づくり。合わせ鏡にチャレンジしてもらいます。自分の顔を前の鏡で見て、うらの顔はうしろの鏡を見ながら自画像を描く。情報量がぐっと増えるだけに、さっき描いた顔とどこまで違う顔ができるのか気になるところです。

 

鏡を用いて描く第一号は女の子。躊躇なくペンを進めます。出来上がりも上手! 厳しいまなざしが印象的ないい顔です。絵の表情からも真剣さの伝わってくる「うらのうらの顔」でした。

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 残り時間が気になってきたので、まとめて並んで姿見に写してもらいました。あっちも見てこっちも見てと忙しく、Tシャツの胸の名前を読むのはあきらめて、失礼ですがそれぞれが使っているペンの色で呼びかけました。「赤、丁寧だね!」「緑、髪の毛も描いていいんだよー」「青、口から描くのか!」などなど。ももクロみたいでした。

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「うらのうらの顔」、完成。

はじまりと終わりには、きちんと整列して号令とともに挨拶をしてくれる礼儀正しい生徒のみなさんでしたが、うらの顔はあまり覗けなかった気がします。言葉は悪いですが、美術館はふざけてもいい場所なんだよ、ていうか美術館だけじゃないよ、ふざけちゃだめな場所なんてそんなないと思うんだよ、ということをもっと全身全霊で伝えるべきでした。

 

午後は、おとなの部。

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後頭部のお面をお借りしてパシャリ。

おもてとうらのツーショット。

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に、似てる…!

 

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 善三美術館おなじみの作家藤原さん。

「よく見て描く」が基本の自画像ですが、鏡越しだと左右が反転するのでペンを思うように動かせません。鏡は見んで感覚で描いたほうがやりやすいなあ、とおっしゃっていました。藤原さんだけ、うらの顔の両面どちらもほとんど変わらなくて、うらっぷりが安定していました。

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親子でも。

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お客さんが週末にも関わらずとても少ないのは台風が近づいているせいにしようと思いました。

 

とかくネガティブな意味で使われがちな「うらの顔」ですが、石田純一かな? 三角関係だとみんなつらいけど、何股もすると角がとれて関係性が丸くなっていくとの格言通り、うらの顔も、うらのうらのうらのうらの…といくつものうらの顔があれば、だんだんおもてもうらもなくなっていくんじゃないかと思いました。

なんか深そうという理由で決めた「うらの顔」、純一思想と意気投合するだなんて……。

この企画、本当に深いのかな…?

 

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-------本日の学芸員赤ペン--------------------------------------

 

今年も始まりました。くるみ先生による中学生のワークショップ。

 

善三美術館では、毎年夏休みに、小国中学校1年生の皆さんが鑑賞教室に来てくれます。この活動自体は、もう10年以上続いているのですが、ここ数年は、シリーズアートの風※の招待作家にワークショップを行ってもらっています。

くるみちゃんを例に挙げるまでもなく、作家というものはやはり、非作家(つまり私たち)とはちょっと違った独特な物差しを持っている人たちです。作家たちに出会い、話を聴き、動く姿を見ると、まるで整体に行って体のゆがみやコリがほぐされるように、私たちの輪郭にびっしりと降り積もり凝り固まった「一般論」がぼろぼろと打ち砕かれていきます。まして後頭部に顔のあるくるみちゃん。まだみずみずしい中学生たちの心に「一般論」が憑りつく前に、ガツンとアートでコーティングしていただこうと思います。

 

さて、本日のワークショップの内容についてはくるみちゃんの日記の通り。後ろにお面をつけることによって頭を剃る以外は持つことのできなかった裏の顔を、だれでも持つことができるようになりました。もっとも、描こうが描くまいが誰しも裏の顔を隠し持っているもの。あるいは、今表に見えているものが本当は裏の顔なのかもしれません。

今日参加してくれた6人の物静かな中学生たちが、慣れない手つきで真剣に描き出してくれたのは、彼らの裏の顔。普段の自分とはちょっと違う、表からはわからない裏の顔なのです。

 

・・・・そうか?

いや、そんなはずはない。

そんなにきれいにまとまるほど簡単だったら裏の顔なんてないも同然。そんなものは裏の顔なんかじゃない。つかもうとすればするほどつかめないのが裏の顔。くるみちゃんの“純一思想”によれば、裏の顔はいっぱいあって、裏の顔の集合で「私」ができあがっているのかもしれない。

苦心しながら後ろのお面に顔を描いた中学生たちも、描こうとしても描けない、つかもうとしてもつかめない姿を、本当の自分の象徴と感じてくれたのではないでしょうか。

 

・・・・そうだろうか?

いや、そうじゃないだろう。

そんな感傷的/文学的なストーリーは、結局「外付け」の「後付け」にすぎない。そんな美術館の鑑賞教室的なまとめをしなくたって、後ろに顔がある人と後ろに顔を描く体験をしただけで、彼らの心の中には、なんとなく自由な気持ちが残ったに違いない。型にはまらなくてもよい、型をはみ出していってよい自由さ。それだけで十分なんじゃないだろうか。それこそが大切なんじゃないだろうか。そしてそれは、作家だからこそ伝えられるものなんじゃないだろうか。

静かに真剣に取り組んでくれた今日の中学生たちでしたが、その中で見せた楽しげなにっこりが植えつけたものは、きっとこれから安易な「一般論」をはねつけるバリアとなって、たとえアーティストにならなくても、独自物差しの萌芽となってくれることでしょう。

そしてそれはきっと、彼らの将来を支えてくれるものとなるはずだと私は信じています。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子

 

※坂本善三美術館で人々と美術館をつなぐ架け橋となることを目指して、2011年からスタートした展覧会シリーズ。これまで、第1回藤原雅哉、第2回ワタリドリ計画、第3回・第4回若木くるみと続いている。