耳なし芳二 8月13日

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耳を鼻として使えば後頭部だけでなく横顔もひとつの個体として利用できるのではと思いついた時の興奮はよく覚えています。

本当に顔の側面を正面として見せられるのかどうか、何度も絵に描いてシミュレーションして、なるなる、大丈夫大丈夫、とは思っていたのですが、横顔にかける自分の期待はとても大きく、手放すのが惜しい我が子に対するような気持ちになって、ついアイディアを温存する毎日が続きました。

制作道場は30日間あるんだし、少しずつ顔を増やしていこうかなあなどというケチなことを考えていたのですが、昨日の「八方美人」で一挙に顔の浪費をして気が楽になりました。

 

今日の企画は、耳→鼻を思いついた時の初期衝動を大切にした、「耳なし芳二」。

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顔ができた時からもう「耳」がないから、そんな顔がふたつ出来たから、「芳一」ではなく「芳二」です。

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耳なし芳一になぞらえて、自分の体にお経を書くところまでは決まっていましたが、お客さんに書いてもらうのか、自分で書くのか、書く内容は本当にお経でいいのか、考えあぐねました。

パソコンを展示室に持ち込んで、インターネットを駆使しながらググったお経を書き込む現代風耳なし芳一という設定が、なんとなく面白げだからとひとまずそれで落ち着いたものの、どうもしっくり来ません。

悪霊に見入られた芳一は、彼らに連れ去られないようお経を全身に書き記します。それではわたしは今何に見入られ何に連れ去られそうなのか。

……マラソンかな。

それはそうだが、そんなにマニアックな設定にしたら大部分のお客さんがついてこられないではないか。そこまで考えて、ああ、自分は誰かに連れ去られたくないのではなく、皆をこちらにつれてきたいのだと思いました。坂本善三美術館に。今、自分のいるもとに。

この場にいない人々に向けたラブレターをわたしは書くことにしました。

 

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筆先が冷たくて、肌がそわそわします。

「何書いてるか、読めないね。」見守っていた山下さんが教えてくださいました。

自分にとっては好都合な情報です。というか、山下さん……ラブレター読み取ろうとして凝視してたのかと思うとぞっとしました。そのへんにいるかもしれない悪霊が山下さんを連れてってくれればいいのにと思いました。

 

筆が胸の勾配に沿って、谷のほうへ流れていきます。体に文字をまっすぐ書くことができません。

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胸問題とか、パンツ問題とか、パフォーマンスをする時に、女は不便だなあ、男の人ならもっとすっきり見せられるのになあともどかしく思うことがこれまで幾度もありました。今日も、もちろん。

作品は「女」感を極力排した表現をと心がけているのですが、そうこだわり過ぎるのも却って「女」を意識しているみたいで、男の人は体のパーツに対する扱いが無防備でいいなあといつもうらやましく思います。

目を瞑り、体にひたひたと文字を刻む行為を続けるうちに、心ならずも、自分がなだらかな起伏を持った女の衣にくるまれているという事実を、強く意識せざるを得なくなりました。

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だっさ。

女でやんの。

もっと速く、もっと強くなりたいのに。

 

自分が自分にしかなれないことへの絶望感に陶酔していると、ご家族連れらしい足音が聞こえました。今日はコミュニケーション作品ではないので、書く手は休めず目を閉じたまま集中力を研ぎすませます。

こちらを見ている、中年男性とおぼしき声がします。

「ほう、変わったマネキンやねえ、動いとる。」

予想もしていなかった反応に、手はとっさに「だいじょうぶだいじょうぶ」とおまじないを書いていました。動揺して耳をふさぎたくなったけど、そういえば耳は耳ではなく鼻になっていたのでした。

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男性のにわかには信じがたい鈍ちん発言が、わたしの粘っこい感傷を一思いにぶち壊してくれました。「女」も何もなかった。わたしはまず人間でいることで精一杯なんだと思った。遠くの人を思ってラブレターを書くなどという甘いパフォーマンスではもはやなく、体に連ねていく文字は自分にとってもっと切実な、外界から身を守るための鎧になりました。

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もっと黒く、もっと肌をしっかり覆わなければ。

がむしゃらに書いていたら、判読不能な殴り書きが体のあちこちに澱んだ溜まりをつくっていました。

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毛むくじゃらになって、わたしは男の人に近づけたんだろうか。近づきたかったんだろうか。

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(絵的に座布団はないほうがよかった)

 

 

-------本日の学芸員赤ペン--------------------------------------------------------------------

 

横の顔デビュー二日目にして、大変美しい作品でした。

 

耳なし芳一』は、悪霊から芳一を守るために体にお経を書くという話です。それでは今回の「芳二」の場合、体に何を書くのか。くるみちゃん自身、あれこれ逡巡した結果、当日の朝になって「私思いつきました!私、後ろと前に顔があるから、(前の)私から(後ろの)私に向けて手紙を書けばいいんじゃないかな!」と確か言ったと思います。でもくるみちゃんの日記によれば、実際に書いたのは遠い誰かに向けてのラブレターだったようですね。朝自分で言ったこと忘れてたでしょ、くるみちゃん。

 

書かれたものがなんだったにせよ、くるみちゃんが畳に座ってぐっと首をひねった途端に空気がひきしまり、肌にひたひたと文字が刻まれ始めた途端に呪術的な空気が立ち上りました。

横の顔が正面になっているくるみちゃん自身は、盲目の芳一にならって目をつぶり、常に顔を真横にひねって文字を書いていきます。頼りは皮膚感覚だけ。筆先がくねくねと動き回りながら静かに肌を文字で埋めていく。筆は何度も同じところを行きつ戻りつし、ふと思い立ったように空白の皮膚を求めてさまよいます。

 

その様子を見ていると、古来から言われていることが思わず頭をよぎります。文字というものはそれだけで力があり、念のこもったものなのだと。体を埋めつつある文字ともつかない文字たちは、言いようのない「気」を放ち、確かに何かからこの身体の主(ぬし)を守っている。絵では感じないような、また、紙に書かれた文字では感じないような呪詛。

 

それと同時に、肉体がにわかに存在を主張し始めます。「肉体が」というより、肉を包み込んでいる「皮膚が」といったほうがいいかもしれません。身体の最も表面にありながら、普段は意識されることのない皮膚。文字が書かれることによって、皮膚は身体の主(ぬし)の輪郭をかたどり始め、外界との境界となって立ち現れてくるのです。

 

文字に包まれた身体は、人間という意味を捨て、フォルムとしての存在になります。ねじまげられた身体、なかなか思うところに届かない筆。くるみちゃんは極力女性性を排除した表現をしたいと言っていますが、本作では、その女性のフォルムも生きていたと思います。女性のフォルムが薄暗い明かりの中で空間を切り開く美しさ。いや、それは女性のフォルムだったから美しかったわけではなく、むしろ性差とは関係なく、意識が限りなく奥へと遠のき、肉体から余計な虚飾がそぎ落とされたときに現われる、人間のフォルムが持つ美しさだったのだと思います。人間として最も虚飾の現われやすい実の顔を封印し、記号としての横の顔をあたえられた肉体は、あちらの世界とこちらの世界のはざまに現われた強靭な幻。

いつまでも見続けていたいと思った、心震えるパフォーマンスでした。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子