くるみのひらき 8月20日
他人の病苦や怪我の話に全然興味ないと思うのですが、去年マラソンで無茶をして故障した時の話をさせてください。
走り過ぎが原因で、両足の脛が腫れて腫れて、歩けないほど痛んだことがあって、診断は骨膜炎という聞いたこともないものでした。
痛みもすごかったですがとにかく腫れ方が尋常じゃなくて、妊娠したんじゃないかと思って、脛が。足指の股からぼろぼろと赤子が生まれてきそうでした。
脛の痛みはもうないのですが、腫れは一年たった今も完全には引かず、足首の上には小高い丘が残っています。ふとした時に丘をさするたびに、「お前がその気ならまたいつでも孕んでやるからな」と、「自分はまだ終わってないぞ」と、不気味なメッセージが伝わってくるようで、わたしは脛に、そんな得体の知れない生き物を飼っています。
こやつの正体はなんなのだろう。
突然生まれた小高い丘の成分はなんなのか。
今か今かと膨らむ機会を狙っているのは、もしや……。膨らむと言えば……乾物なのか?
自分を切り開いたら、答えがわかるのではと思いました。
くるみのひらき。
具体的なイメージは湧きませんが、やってみました。
山下さんには全く想像がつかないと言われていて、そんなこと言うならわたしにだって完成像はさっぱり見えませんでした。
しかしやってみると意外にひらけるもので、なんとなく、自然に見えてきたかたちは、魚の干物。
人魚? のひらきができました。
「にんぎょ」と読むと美女を思い浮かべてしまうので、発音は「じんぎょ」にするのがおすすめです。
ひらいたら何かたのしいものが出てくるだろうと期待していた脛からは何も生まれ来ず、完治したということだと思います。乾物のくだりもうまく着地させられず、忘れてください。
体をひらいたら、顔もひらきます。
実は、この企画は体よりもまず頭をひらくところから発案されたアイディアでした。
わたしは顔がぐるっと4面あるので、後頭部(写真)を縦に切り開いたら、すべての顔が一望できるかなあ、と。
でも、今日の、作業真っ最中だったお昼、「そのアイディア、キキスミスがやってるよ。」とお客さんに指摘されて青ざめ、ならば自分は「ひらき」を人体から発想したことにしてオリジナリティを保とう、動機の導入部には怪我の思い出を使おう…と、自身の初期衝動から編集し直すことに決めたのでした。
でももうカミングアウトしてしまったので、今日の出来事をありのまま正しい順序で振り返ります。
9時、髪を剃る。
10時、後ろの顔を描く。
11時、横の顔を描く。
左
右
11時半、体のひらきにハサミをいれる。
ついのめりこんで滅茶苦茶描きこんでしまった後ろの顔の完成度が高く、顔が全面にあるだけで初見のお客さんの反応が非常に良いことに甘えてちんたら作業をしていると、12時、知り合いの学芸員、遠藤さんが見えて卒倒しそうになりました。
富山にお住まいの遠藤さんは去年から制作道場を気にかけてくださっていたのですが、今年は現場まで見に来てくださるようなこともおっしゃっていて、本当かなあ、いつなんだろうと思っていたら、今日でした! なんてこと。しかも、移動に2日間、滞在は2時間という超のつく「ふしぎスケジュール」で。遠藤さんが帰られる前になんとしても作品らしい状態をお見せしなくてはならない。わたしはいつもの自分を3倍速にしたような勢いで館内を動き回りました。
すぐにも作品にとりかからねばならないのですが、なんか中学の美術部の団体客も来ていたりして会場はごった返しているし、遠藤さんには「キキスミスが」って言われるし、顔は、どう展開すれば良いのか。
作業の合間にはお客さんと後ろ手で握手。
中学生とも握手
遠藤さん
キキスミスが
一度決めた計画を何度かひっくり返して、やっと滑り出した「くるみのひらき」。
後頭部の顔を縦半分にひらき、横の顔、正面の顔を両端からはさみこみます。
正面につけるのは目、鼻、口をくり抜いた顔写真。パーツの穴から実在のわたしが顔を出す。
ここまでは計画通りです。
そこからお客さんをつなげていくのも計画通り。
ただ、最初に考えていた「お客さん」とは、「自分の後頭部に描いたお客さんの似顔絵」のことでした。後頭部は消しては描き、消しては描きする予定でした。
しかしこの後頭部を消すのは惜しいということから、お客さんの顔は正面のものを拝借させていただくことに。
顔アップを撮影
顔写真を撮ったら、とても気がひけるがパーツをくり抜きます。
自分の正面の顔をまっぷたつにひらいて、その間にお客さんの顔写真を割り込ませる。
あたらしい人が、常にセンターにきます。
次の人が来たら、真ん中からひらきます。
くり抜く
つなぐ
自分の顔の間に、
遠藤さん。
ダブル遠藤さん
遠藤さんをひらくところ。
はさみこみ遠藤さん
以下同様に繰り返します。
ひらいてはつなぎ、ひらいてはつなぎ、くるみのひらきはどんどん長くなりました。
最後のセンターは、山下さんです。
わたしは写真をただ顔にあてがっているだけで、鏡で確認しない限りは自分の様子はわかりません。
何の作為も悪意もなく機械的に撮影されていたのですが、あとで記録写真を見てみると、山下×若木の掛け合わせだけが際立っておかしな具合に写っていて、やっぱりわたしたちは相性抜群のようでした。
一言で言うと、汚い…。
歯並びが汚さの95%を担保しています。
床置きして体とつなげると、こんなひらきになります。壮観!
遠く両端に離れていた後頭部を再びつなぎ合わせることにしました。
むこう側にわたしの後頭部のかたわれがいます。
やっと会えたね
まあるい輪です。
パーツをくり抜くから、個人の特定はできないからといって皆さんを撮影させていただいたのですが、やってみたらばっちり特定できそうなことになってしまいました。
こんなふうになるとは…。
申し訳ございません…。
ご協力本当にありがとうございました!!
---------本日の学芸員赤ペン----------------------------------------------------------------------
「くるみのひらき」というのは今年の制作道場がはじまる前からずっとくるみちゃんが呪文のように唱えていた企画ですが、先日横の顔ができてから一気に現実味を増し、今日の制作に至りました。
くるみのひらきは作業量の多い作品で、朝から真剣な顔で段取りを反芻していたくるみちゃん。
「顔」が構成要素となる作品なので、後ろの顔、横の顔のクオリティがまずはものを言います。ということもあって、気合の入った後ろの顔描き。筆が一つ一つ重ねられ、後ろの顔が徐々に姿を現す。だんだんピントが合ってくるかのように少しずつ細部が明らかになってくる。ほんの小さなタッチを一箇所小さく入れるだけで全体の解像度がぐっと上がっていきます。後ろの顔を後頭部の皮膚に描いたというより、後頭部の中に埋まっていたものを掘り出したというか、磨きだしたという感じのほうが近いように思いました。
くるみちゃんは、後ろの顔と横の顔を二人描き終った時には、ちょっと具合が悪くなっていました。それだけ集中して描いていたということなんだと思いますが、表に出てこようとする中の人たちと主導権をせめぎ合っちゃったのではないかと考えるのはこじつけすぎでしょうか。
くるみちゃんの四面の顔を後ろから切り開いて平面にしたくるみのひらきは、そこにさらにお客さんの顔を加えていくことでどんどん展開していく作品でした。正面の顔の真ん中を切り開き、その中に新しい顔が生まれる。そしてそれがまた切り開かれ、さらに中から新しい顔が。見れば見るほど、最初のくるみちゃんの正面の顔の中から次々にいろんな顔が生まれてきているように見えます。ちょうどくるみちゃんの後ろの顔がくるみちゃんの中から生まれてきたみたいだったように、次から次へと湧き出してくる顔、顔、顔・・・。それぞれの顔のパーツを切り抜いてくるみ本体と一体となったそれらの顔は、別の顔ながらくるみちゃんの延長でもあるのです。
ところでくるみちゃんの作品は、非常に独特な本人の発想経路を通って出てきたものではありますが、本人は、「自分から出てきたものというよりは、みんなのアイディアを使って出てきたもの」というような言い方をします(ちょっと表現は違うと思いますが)。確かに制作道場の中でも、お客さんの小さなつぶやきや誰かがふっと口にしたおもしろい単語など、「そんなところから!」と思うようなところからアイディアを拾ってくることがよくあります。しかし「みんなのアイディアを使って」というのは額面通りに取るべきではなく、くるみちゃんのアンテナに引っかかったものが、くるみちゃんという錬金術マシーンを通過して出てくるということは、つまりはくるみちゃんから出てきたものに他ならないのです。第1回のアートの風の招待作家である藤原雅哉さんも「自分の中はいつも空っぽで目についたおもしろいものを取り込んでいく」というようなことを話していました(ちょっと表現は違うと思いますが)。くるみちゃんにしろ藤原さんにしろ、もしかしたら作家というものは、自分の中を空っぽにリセットできる力を持っている人なのかなと思います。おもしろいものに出会ったときに、先入観なくいつでも反応できるように。いつでも自分の回路に取り込むことができるように。それは自分の力ではないと彼ら/彼女らは言いますが、それが作家の思考の自由さでなくてなんでありましょう。発想を閉じた自分の内部に限定せず、いつも世界とつながり、世界を感受している人たちなのだと思います。
つまり、何が言いたかったかというと、いろんな人の顔がくるみちゃんの内側から次々に生まれているかのような造形となった本作品は、出会った人すべて、出会ったものすべてを自分の中に通過させ、そこからから想像の種をうみ出すくるみちゃんの制作を、図らずも(?)表しているようだった、ということです。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
追伸:体のほうのひらきは、当初は「山折り線、谷折り線、切り取り線をつけて展開図にする」なんて言っていて、くるみちゃんにそんな高度な技(例えば幼児雑誌の付録で仮面ライダーを紙一枚から作り出しちゃったりするような)があるとも思えない。でもどうしても人体のひらきをやってみたかったらしい。制作途中を見に行ったら、ぼんやり手足の型を紙に写してたりして、一体どうなることかと思っていたら、驚くべきくるみちゃんの描画力で人体をひらいてみたら魚のひらきだったという解決を見たようで、とりあえずおもしろい造形になりました。でも顔のひらきの造形の重厚さや語りかける力からすると、どうしても付け足し感がありましたね。もしどこかで再制作することがあったら、体部分は再検討の余地ありかな。