中学生ワークショップ⑥ 8月21日

ワークショップは、今日が最終回でした。

制作道場が始まる前は不安で仕方なかったワークショップでしたが、回を重ねるごとに自分の成長ぶりを感じとることができました。積み重ねた経験は確かな自信となり、自信がまた良い結果をもたらし、勢いに乗ってここまで来ています。

しかし、過去を振り返ると、経験上、こういう時はとても危ないです。

盛者必衰の法則。

 

漠然としたワークショップ衰弱の予感は、今日の中学生との顔合わせの時に決定的になりました。

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なんか、全員にあざ笑われてるような気がする…。

被害妄想でこわばった表情のまま事務室に逃げ込み、今日だめな気がする。と言ってスタッフの方の心配をあおりました。

 

こわいなー、さっさと終わらせようと決意を固めて、14人に立ち向かいます。

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まず初めの課題、「自画像を描く」から悪い予感は的中し、女子も男子もそろって緩慢な動き。特に女性徒5人は過去最高に無気力で、制限時間を迎えても、全員が完成まではほど遠く、目しか描けていないような状態でした。

 

空気をなんとか変えなくては。

合わせ鏡を使って後ろ手で描く「うらの顔」の実演に入ります。

この日は、前日企画で描写した後頭部の顔を、消さずに残しておきました。中学生に自分の画力を見せつけようと思ったわけではなく、素晴らしい顔をためらいなく消して見せて、ショックを与えたかったからです。

けれども、「描く」より地味な「消す」作業だけではこいつらの気持ちはつかめない気がして、今ある顔に新たにマッキーでらくがきを加えることにしました。

何描いてほしいー。教科書の偉人だと思ってらくがきしていいよー。

メガネを描きながらそう声をかけると、「ひげ!」「鼻血!」とあちこちから声が飛びかいました。やんちゃな自分を演出したことで、うまく注意を引けました。

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いよいよ、生徒たちの番です。

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生徒同士の仲はとてもよくて、こちらが何を言わずともわいわい自発的に助け合ってくれたのは思いがけないことでした。「何を言わずとも」を正確に表現すると、何を言ってもあんまり聞いてくれなかったということになりますが、それでも、聞く耳があって仏頂面より、何がなくても笑顔があれば! と思いました。

わたしがワークショップを通して一番伝えたかったのは、うらの顔がどうこうではなく、美術は楽しいということだったから。楽しい美術があってもいいのだと、知ってほしかったから。

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難しくないと美術じゃないと思っていた大学生の時、体を使って表現する美術の存在を知り、わたしはカルチャーショックを受けました。こんなにおもしろいのに、これが、美術!? と面食らったことをよく覚えています。その時の、視界がパノラマに変わったみたいな、いても立ってもいられないほどの興奮を、皆に少しでも味わってもらいたい。

普段そんなことは思わないのですが、いざ生徒の皆さんと向かい合うと、何かしらを伝えたいと願う強い欲求が、自分の中に自然と沸き起こるのが不思議でした。

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そうして、ワークショップを通じて触れた皆の表情は、驚くほど多彩なものでした。

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完成した「うら、おもてのお面」が、たとえ評価の対象外でも、一般的には駄作凡作に過ぎなかったとしても、鏡に向き合っている時の彼らの懸命なまなざしには、「美術のかみさま」が確かに宿っていたように思います。

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自分がおもしろいと自負して手掛けた作品を、「そんなの美術じゃない」と評されると、がっくりきたりもします。

でも、こんな良い顔に出会えるのなら、これが美術じゃなくったってわたしはちっともかまわない。そう言って、「美術とは」を、蹴散らしてしまえる図太さを、わたしはこのワークショップで与えてもらった気がしました。

f:id:kurumi-zenzo2014:20140822042646j:plain皆さんありがとうございました。

 

 

午後は音信不通になっていた大学の先輩が来てくれて、当然ですがふたりとも絵がとても上手でした。

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これ幸いとばかりに明日の制作準備にも絡んでいただきました。わたしのちゃっかりっぷりに、「らしいね」というお声をあちこちから受けたのですが、それでますます得意になりかけている自分もいて要注意でした。「らしさ」にあぐらをかくと、ろくなことにならないと思う。

 

今日のワークショップでも、最後のまとめで山下さんはまた岡本太郎賞という過去の栄光の話をしてきて、わたしに「賞金200万」のフレーズを言うよう目で欲されたのですが、もうそれ披露するの3回目だと思うとやる気が失せました。鉄板だってわかっているネタを再現するのは、どうも居心地が悪いのです。そのため、現在進行形で浮かんでくる言葉を、まとまっていないままずらずら垂れ流す羽目に陥るのですが、わたしは強気でした。最後までめげずに徹底的に支離滅裂でした。

 

それから分析するに、自分は、成功することをこわがっているようでした。今うまくいったら次は失敗するに違いない。そう考える癖がついてしまっているために、一度間違って成功してしまうと、「次」が訪れるまではずっと恐怖に揉まれて過ごさねばならないのです。

ワークショップは、もう「次」はないのでほっとしました。

 

閉館間際には、昨日も来てくれた3兄弟が遊びに来てくれて、兄弟そろってうらの顔づくり。

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上のおねえちゃんがすごく一途な目で見つめてきて、そっと「くるみさん」と呼ぶので何かと思えば、「もう、明日福岡に帰っちゃうから、もう会えないから、今日は、名前を呼ぼうと思って来ました。」とな。

胸がしめつけられました。胸苦しさを紛らわそうと、「こいつすごいテク持ってんな」とひねくれた見方をしてその場を乗り切りました。

しかしおねえちゃんは帰り際、しっかりした口調で「山下さんって誰ですか?」と大人の群れに向けて質問したかと思うと、「わたしです」と答えた先の山下さんに向かって、「来年もくるみさんを呼んでください」と物申す、とんでもない離れ業をやってのけていた。だ、誰に向かって発言してんだ、どーどーどー! でした。相手は鬼の学芸員だぞ。わたしはストレートすぎるおねえちゃんの言葉にひねくれる余裕もなく、おねえちゃん、もし仮に鬼がまた呼んでくれたとしても、わたしには、もう、アイディアがないのよ……。とても素直に慌てふためきました。

f:id:kurumi-zenzo2014:20140822042820j:plainありがとう忘れません。

 

 

 夜には翌日の制作が間に合わず泣きながら徹夜して、日記を更新できませんでした。

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---------本日の学芸員赤ペン--------------------------------------------------------------------------------------------

 

6回にわたる中学生ワークショップ、お疲れ様でした。

前にも言いましたが、この一連のワークショップでは、中学生とくるみちゃんを会わせるだけで十分な成果を得られているものと私は思っています。そこへきて今日のくるみちゃんはよく語った。美術に対する想いとか、ちゃんとしてなくったっていいんだとか(この発言には前後の文脈も大事です)、可能性はいっぱいあるんだとか、言葉を尽くして中学生たちに伝えていました。「何か不思議な大人がいたよなあ」という記憶が残るだけでも、彼ら/彼女らの人生ふれ幅の可能性は、大きく広がることだろうと思います。

そんないい話をしてくれたくるみちゃんに、毎度鉄板ネタを振ってすみませんね。太郎賞受賞作家の大先生に大変失礼致しました。

くるみちゃんのいい話に便乗して私も中学生のみなさんにいい話をしようと試みました。

 

山:「まさかそんな、って思うことでも、やってみると世界が広がることもあるんだよ。頭剃って顔描いても警察につかまるわけじゃないし」

くる:「あ、でも私、警察に職質されたことあるんですよねー」

 

ああ、中学生たちよ。できれば法に触れない範囲で自由な大人になっておくれ。

 

そして、くるみちゃんに夢中になってくれた3人兄弟。特にお姉ちゃんの胸にはどんな風にくるみちゃんは残っていくんだろう。あの子達が来てくれた日は、決して面白おかしい作品ではなく、どちらかと言えば地味な作品でした。くるみちゃんも作業に追われてあまりかまってもあげられなかったはず。どこがどんな風に5年生のお姉ちゃんに響いたんだろう。

くるみちゃんのことを好きになる人は、一瞬で心底ファンになってしまう。私がくるみちゃんの展覧会を決心するに至った理由もこの圧倒的な吸引力によるので、みんながひきつけられるのは「そうだろうそうだろう」と思うのですが、一方で、「何でそこまで?」と思うのも事実なのです。みんなくるみちゃんに釘付けになった理由なんて自分では言葉にできないだろうけど、私としてはどこがどうなってそんなにも好きになったのか、心を切り開かせていただいて観察したい気持ちです。もちろん私もくるみちゃんの吸引力に吸い込まれた一人なんだけど、私は美術館の人なので、もはや純粋に好き嫌いだけでは見ることができないのです。何か秘密の回路をぐぐっと打ち込む機能が、くるみちゃんとその作品にはあるのかなあ。何かそういうようなものがあるんだろうけど、それはどんな風になっているんだろう。そこのところを知りたいです。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子