芳二台無し 8月24日
8月13日、体に文字を書いた「耳なし芳二」。
よかった、印象的だった、という声の多かった企画です。
山下さんづてに聞いたのですが、ある方は芳二が頭から離れず、「サロンパス(透明•肌色タイプ)に、お客さんがメッセージを書いてくるみちゃんに貼ってる夢を見た」そうです。
サロンパス! 台無し! と笑ったあとで、そういうのいいなと思いました。
台無し、いいな。
出来のよかった回を出来のいいまま終わらせるのシャクだな。
もう、赤ペンでも「美しい」とか褒められちゃって、わたしは誰かの美しい思い出なんかのまま保管されてたまるかと思いました。
芳二から夢越しに、台無しにしろと命じられている気がしました。
しかし、ただ夢の通りに、「メッセージ書いてください」にすると、まるで「応援してます」「がんばって」とか言われたい人みたいです。それはそれで台無しという感じもしますが、サロンパスは貼るよりむしろ剥がしてもらいたいと思いました。一度貼られたレッテルを剥がすという意味でも。
あらかじめ字を書いておいたサロンパスを全身に貼って、剥がしてもらう。
胸や股間のサロンパスには「剥がすな呪う」「たたるぞ」とか書いたりして。
これで台無しは決まったと思ったのですが、サロンパスは高価なのでガムテープを買いに行きました。
どうせなら痛いほうがいいな、という希望もありました。人様の美しい思い出を台無しにすることにわたしは若干気のひける思いもあって、それに伴う痛みは引き受ける覚悟でいますっていうか、痛がるから許してくれっていうか、…ていうかそんなならそもそも台無しにしようとか思わなきゃいいのに……。
体に書く文章は、13日に勢いで書いてしまった自分の日記にしました。今となっては悶絶するほど恥ずかしい日記です。読み返すことが苦痛でなりません。聞けば山下さんにとってもあの回の赤ペンの自己評価は「最悪」とのこと。ならばと一挙両得を狙いました。
素肌に自分の日記を書く! 書かれた肌をガムテープで覆う! ガムテープの上には山下さんの赤ペンを書く! 剥がす!! テープを剥がすと肌のインクも剥がれる!
日記と赤ペンとが、両方一度に剥がれる!!
…こう説明しているだけでなんか意味ありげです。
ここにいきつくまでに「芳二台無し」の考え得る限りの可能性を探っていて、ああでもないこうでもないと企画を練っているうちに、どうにもこうにも深そうな内容になっていきました。
例えば、いざガムテを剥がすでしょう、そしたら、表面に書かれた赤ペンの語句と粘着面についている日記の語句とはそれぞれ呼応していないはず。それは、「自分の意図と評価とは必ずしも一致しない」という、コミュニケーションのちぐはぐさを可視化したものにならないか。
事前にこれだけ予測できているというのがわたしはまったくもって気に入りませんでした。あらかじめ自分の頭で考えつくようなことは、どうせその程度の、底の知れたことだからです。
あれあれ? おかしいな、もっと外に開かれた、飛べる企画のはずだったんだけどな。
「台無し」を望んだ初期の思いとはかけ離れて、真逆の方向に向かっている敗北感をわたしはひしひしと感じながら、肌に過去の日記を書きました。
恥! 恥で全身が埋まっていく…。全身恥部になった。ガムテープを剥がすまでもなく、既に超痛い作品でした。
書き終わったら、肉体的な痛みの元、ガムテープを貼りました。
ガムテープで隙間なく覆われて自分の恥がようやく隠れたところで、次は山下さんの恥の番です。
山下さん自身の手で、赤ペンを書いてもらいます。「ああ〜、もう陳腐すぎる! まるで内容のない赤ペン!!」山下さんが身悶えしていましたが、わたしは眠たかったので「うるさいなあ」と思いました。
肌を日記で覆う
日記をガムテで覆う
ガムテを再現赤ペンで覆う
熟睡
準備が整いました。
肩にはサロンパス
ベリッ(剥がす)、ポイ(放る)、ベリッ(剥がす)、ポイ(放る)。
リズムよくいきたいのですが、「ポイ」の時ガムテープが指にまとわりついてうまく自分から離れません。
ごく自然に、うっとおしい! ええい! という気持ちになって、しつこいガムテープをお客さんに向かって投げつけました。
おもしろがって投げ返してきたお子さんとラリーをしたりして、それはもう全く趣旨の異なる作品でした。
背中に貼った、自分では手に届かないところのガムテープはお客さんにお願いして剥がしてもらいました。
みなさん恐る恐る、そっと剥がしてくださったのですが、気分的に自分で剥がすよりも痛かったです。
剥がしていただいたガムテはお客さんにつけていやがらせをしました。
怒る人がだれひとりいなくて、みんな温和な表情で「がんばってくださいね~」とかねぎらってくださるのが空しかったです。
よりいっそうの苛立ちを込めてガムテープを投げつけます。
芳二、これで台無しになったのかなあ。
得体の知れない義憤に駆られて、どうしても台無しにしたかった「芳二」ですが、憤りの正体はなんだったのか。
わたしは美しいものが好きで、美しいものづくりをされる作家さんをとても尊敬しているのですが、自分がその領域に足を踏み入れたことを許容できないっていうか、あんたそっちじゃないでしょ、みたいな。住み分けしなさいよ、みたいな。なんか結局、自分に厳しいわたしでした。ストイック!
ベリ
ベリ
ただただ、痛くなりたかっただけかも。
なんか美しい思い出って、死んじゃったみたいでいやなんだと思いました。美しいまま凍っちゃうくらいなら、がちゃがちゃしたまま生きていたいと思って。痛くなきゃわかんないっていうか。今、今と思っていたんだと思います。
「恥」という漢字は、「耳」に「心」って書くんだなあと思って、便利なネットで由来を検索してみました。
諸説ある中、「外の声に耳を傾けるのは人としてのプライドがない恥ずかしいことである」というのが日記を書くにあたって今一番使える説でした。
耳なし芳一は、耳がないぶん、内の声を聴くしかなかったのでしょう。芳一をテーマにした時点で、ある程度内省的になることを義務づけられていた企画だったのかもしれないと思います。
前回「耳なし芳二」で感じた、文字を書く悦楽みたいなものはなかったし、かといってそんなに台無しにもできなかったし、せっかくの日曜日にこれをやって、なんかただの露出狂みたいでやだった。
---------本日の学芸員赤ペン---------------------------------------------------------------------------------------
先日の企画「耳なし芳二」から生まれた「芳二台無し」。
そのリメイク版というか、アンサー作品というか、前作を題材にして新しい作品に作り変えようという企画は、制作道場史上これまでなかったことなので、やってみることにしました。
そもそも「耳なし芳二」は、プラン当初では、今年誕生した「横の顔」を使って、「耳が鼻になってて、つまり耳がないから耳なし芳一」という、どちらかと言えばおもしろ発想からスタートした作品でした。しかし、じゃあ肌に何を描くのか、衣装はどうするのか、などと話し合っているうちに、気がつかないうちに内省的な方向へとベクトルが向かっていきました。
実際、パフォーマンスしている最中のくるみちゃんも、トランス状態に陥っていたみたいだし、そもそも耳を塞いで(というか鼻にして)目を閉じるからには、内省的にならずにはいられないでしょうそれはそれでよかったし、実際、皮膚を文字に覆われながら座り続ける姿は、彫刻のようにフォルムとして際立っていました。
しかし。
たしかにそれはそれでいいんだけど・・・という気持ちもわからないではない。
相手の冗談を真に受けちゃったような気まずさ。もしくは、冗談で言ったのに真に受けられちゃったような気まずさかも知れない。思わず真面目にやっちゃって恥ずかしくなったような。
もちろん「耳なし芳二」は冗談ではないし、シリアスが悪いわけでは決してないけれど、「耳なし芳二」には、メタ視点がなかった。つまり、作品と鑑賞が同じ次元で完結してしまった(それ自体が悪いわけではないが)ことが、くるみちゃんのお尻をこそばゆくしていたのではないかと推測します。だから褒められると恥ずかしくなってしまった。そこで、作品と鑑賞者を含めてその全体をもう一階層上から見るというメタ的視点を付け加えてすべてを“ ”(カッコ)に入れたくなったのではないでしょうか。そして当然赤ペンにも「メタ」がなかった。すごく恥ずかしい。“ ”に入れたい。
そこで、「耳なし芳二」を台無しにすることで“ ”(カッコ)にいれようと試みた「芳二台無し」。
ではどうすれば台無しになるか。例えば横の顔を変な顔にしておもしろおかしくすれば台無しかと言うとそういう問題でもない。「耳なし」とうってかわってワーワー騒ぐふざけたパフォーマンスをすればといいというものでもない。
結局、みすぼらしく見えるようにガムテープで全身を覆って「台無し」を狙ったものの、今度はサイボーグみたいに見えてそれはそれで造形的でした。ならばコンセプトで「台無し」にしようと、身体に日記と赤ペンを書いて、ガムテープをべりべりとはがすパフォーマンスをしたものの、結局既視感のあるストーリーがいくらでも生み出せることになってしまった。
もちろんそれが悪いわけではないのだ。造形的にもコンセプト的も完結していたし、それなりに「台無し」ではあった。でもメタ視点を獲得するまでには至らなかったかもしれない。
台無しもなかなか難しい。
そんな時、あるご婦人が部屋に足を踏み入れた途端におっしゃった。
「あはははははははは!!!あなたなにやってんの!?」
なんという破壊力のある「台無し」。
補足すると、このご婦人は、全く無理解にそう発言されたわけではなく、むしろ最初からとっても好意的で、他の作品にも大変興味を示されたあと、「こんなことあなたにしかできないわよ!」とおっしゃいました。
とはいえ、きっと深い意味もなく発せられた、ひと目見るなりの「あなたなにやってんの?」には、しどろもどろにコンセプトを説明することの陳腐さや無意味さ、説明しなくちゃならないダメさを、机上にずらりと並べられたような思いがしました。
「メタ」とか何とかかっこつけてアートっぽいこと言ってないで足元見てごらん。
あなたたちそれなにやってんの?!
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子