顔リンピック 8月30日
オリンピック種目のひとつ、近代五種競技。
(近代五種競技(きんだいごしゅきょうぎ、英語:modern pentathlon)は、1人で射撃・フェンシング・水泳・馬術・ランニングの5競技をこなし、順位を決める複合競技のことである。)
射撃、フェンシング、水泳、馬術、ランニング!
自分にとってはランニング以外全然馴染みのない妙な取り合わせのこれら五種を、わたしのたくさんの顔を使って、一挙、やっちまいます!
その名も、顔リンピック。
(絵:武内明子)
大声援を受けて、いざ!
射撃!
カッパの的に向かって水鉄砲で、連射!
命中!
次!
フェンシング。
手に持つピックは傘の柄とお椀で作りました。
つん
つん
ピック先端につっこんだすすきの葉をひゅんひゅんしならせて、相手役の馬を攻撃します。
ピシッ
ばさしーーー!!!!!(馬刺、熊本の郷土料理)
笑いが起きたら次!
刺激したばかりの暴れ馬を、どうどうどう、どうどうどう。
頭をなでていなす。
位置について、
ヒヒーン!
正確さ30点
活発さ90点
美しさ75点
馬らしさ満点
次!
水泳。
ようい
ずるり
参戦してきた猛者にぐんぐん水をあけられ惨敗。
敗戦をひきずっている暇はありません。
締めはランニング。
行きますよー!
スタート!
ワークショップで作った中学生のお面の面々を率いて走ります。
最終ランナーを務めてくださるのは美術教師の杉先生。
先生は、初マラソンとなる熊本城マラソン(2月)に先日エントリーされたばかりです。
先生が出るならわたしも出ます!
美術館が始まる前の早朝、ふたり待ち合わせて一緒にジョギング練習に励んできました。そしたらエントリー締切はなんと昨日までだったそうで、わたしはついに応募しそびれたのでした…。先生…ごめんなさい…。
叶わなかった熊本城マラソンでの共走が今、この晴れ舞台で実現です!
今度一緒にこのスタイルで本物のマラソンを走りましょうね。
朝練の甲斐あってふたりは息ぴったりでした(あくまで主観)。
拍手!
杉先生ありがとうございました!
後には、山下さん、竹口さん(ゲスト赤ペン)、パンいちの競泳少年も加わって、豪華メンバーでのマラソンを試みましたが、各々を結んだ靴ひもが互いの足をひっぱり合う、最低のレースでした。
山下さんが背後からおもいっきりわたしの腰にすがりついてきて、重い! 後続ランナー、ランナーらしくちゃんと腕振りしてください!!
杉先生との間に無言のうちに流れていた、「お互いがんばろうね、マラソン!」という無垢で爽やかなエール交換に、邪魔が入って胸くそ悪かったです。
しかしそんなどうしようもない走りでも、ゴールの瞬間は気持ちがひとつに寄り添って、
バンザイ!
おつかれさま!!
ひゃー
ハイタッチ!
一礼!
中身はどうあれ、ゴールするということが大切ですよね!!
明日の最終日がコケた時のための伏線を、今、周到に張り巡らせていることに、賢明な読者の皆さんはもうお気づきであろうか。
いや、だって、ほんと、ともかくも、ここまで来られたってだけで!
ゴールできるってだけで、すごいと!
すごいと思えませんか!!
って前もってもっと早くから皆の意識の中に刷り込んどけばよかった。
一昨日から、なんと町内放送で朝晩、「若木くるみの展覧会が明日までとなりました」などとカウントダウンされるようになって、公共の電波をジャックするとか鬼の山下はやはり恐ろしいと思いました。
にゃん
---本日の学芸員赤ペン---------
完璧に楽しい一日でした。
競技を行ったのはくるみちゃんだけですが(飛び入り参加はありましたけど)、観客の私たちも完全に参加した気分です。すごいな。
くるみちゃんを見に来ていたお客さんだけでなく、何かイベントでもやってるのかとふらりと立ち寄った年配のグループのみなさんも、応援席でメガホン片手に大声で応援してくれました。みんな本当に大喜びの大笑顔。
楽しくなっちゃったた子どもたちは水泳競技に自主参加し(かつ圧勝)、しまいにはくるみちゃん抜きで自分達だけのレースを展開し、もう我慢できずにパンツでプール(砂利)に飛び込み、全身で楽しさを表現してくれました。
美術館の庭では、みんなそれぞれが本当の運動会(五輪ではない)を見に来たみたいにのんびりとくつろぎ、競技が始まったら大声で応援し、子どもらはその辺で遊びながらはしゃぎまわっていました。
くるみちゃんの作品プランは5つの顔でやるオリンピック。でも、その作品を構成していたたくさんのピースには、メガホンのおじさんがあり、パン一の少年があり、子どもを抱っこするお母さんがあり、全然競技なんて見ていない女子たちがあり、お隣の神社の境内から拍手喝さいを送る人があり、馬だと思ってくるみちゃんに吠える犬があり。
これらは直接くるみちゃんが用意したものではないし、会場で偶然生まれたものですが、これらがなければ成立しない作品でした。そしてそれを生み出す力はこの作品が持っていたものです。
「作品」「作品」と言っていますが、くるみちゃんが作り出したものはもはや「作品」というよりも「空間」、あるいは「状況」。現代美術家がよく「空間を作る」などといいますが、そんなインスタレーションやなんかの甘っちょろいものではなく、来た人はもうお祭りかなんかとしか思っていないくらい、突然現われた陸続きの異次元。
庭全体が揺れるように楽しんでいる様子を眺めながら、私はつくづくと、これは実はすごいことが起こっているんじゃないかなと思いました。私たちは当たり前のように立ち会っているけれど、こんなの普通の美術館では出来ないでしょ、と思いました。手前味噌でほめているわけではなく、美術館のロケーション、お客さんとの関係、ゆったりした空気が日常的に土台としてあって、そこにくるみちゃんが絵具をぶちまけたように色を付け、かきまぜ、完全に日常の中にある特別な磁場が現れる。何もかもが受け入れられている、奇跡のような時空でした。
言葉を重ねれば重ねるほど陳腐になるのがもどかしい。でもあの時間あの場所あの人たちとしか立ち現われなかった奇跡は、もう二度と見られないと思えば思うほど私たちの心で輝きを増し、涙の根元を動かします。
本当に、夢だったんじゃないだろうか。楽しかったな。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子