後ろ髪ひかれない 8月31日 回想2
小国ゆかりの作家、ズベさんにひいてもらった後ろ髪。
後ろに髪の毛を置き去りにするというアイディアは、もともとはマラソン用に、スピード練習の必要性に迫られて思いついたものです。
「ダッシュのスピードが速すぎて、髪が取り残されちゃうんです…」
そんなプレゼンを持ちかけるたび、決まってぽかんとされていました。
自分の走りの特徴を述べるときに、後半も粘れると言うと聞こえはいいですが、序盤のスピードがわたしにはなさすぎる。
体重が重いせいで、スタミナはあってもスピードが皆無なのです。
前半の出遅れが響いて関門にひっかかるという苦い経験を何度も重ねてきました。
小国ダービーと同じく、スピード練習目的でひり出したこの企画は、当初はお客さん巻き込み作品ではありませんでした。
しかし、髪の毛が勝手に置いてけぼりにされる妄想が周囲に理解されず、ボツ案の憂き目を見そうなことに焦って、じゃあお客さんに髪をつかんでもらえばたのしくなるかなあ? やけくそで考え始めたのでした。
溺れる者は藁をもつかむ。
慣用句通りに行くと、「お客さん=藁」、「藁のようにとるに足らないもの」ということになってしまいますが、もうこの時は追いつめられていて、作品にできるならあとはどうでもいい、お客さんも正直どうでもいい、利用できるものはなんでも利用する。
そんなすさんだ気持ちでいました。
一企画でも多くストックしておかなくては。
もう人間性は二の次、三の次というか、明日のアイディアが何もない、という状況がもう何より恐怖で、その他のことがついおろそかになっていたことは否めません。
とにかくめちゃくちゃ焦っていた。
制作道場は一日しかチャンスがありません。
あとから、あの作品もっとこうすれば良かった、こっちの切り口でいけば良かった、っていう後悔を絶対したくない。すべての可能性を最高のかたちで終わらせないといけない。ずっと口の中が乾いていました。
どうせお客さんに加わってもらうなら、ひとりひとりの個性がちゃんと見えるやり方にしたいよな…。
取り残される髪(カツラ)の内側に、何か皮膚って設定のシートを用意したら、そこに顔描いてもらえるな、並べて展示もできるな。
わたしの後ろの顔はおなじみだけど、テープ貼ったことはないし、いいかもな。
後ろの髪は、あ、後ろの髪ってことは、……はっ、…「後ろ髪」…?
…う、う、う、後ろ髪ひかれない!?
来た!
と思いました。これ、最終日企画でいけやしないか。
最終日、これしかないだろう。
後ろ髪ひかれたくない。
今年は。
今年のはじめての休館日(8月4日)に、ズベさんのアトリエまで走って行ったことがあって、…移動時間13時間、滞在時間1時間の不思議スケジュールで。
小国とズベさんのアトリエとは徒歩だととても遠く、目的地までの地図を握りしめ、次はいつ給水できるのかと怯え、土砂降りに会い、坂道をとぼとぼ歩き、日没を恐れながら、しかし一歩一歩重ねるしか旅を終わらせる方法はなかった。(とか言って途中見知らぬ女性の車にピックアップされて命拾いしたりもしてるのですが…。)
そうして長く険しい道のりを消化している最中に少しずつまとまっていったアイディアが、「後ろ髪ひかれない」だったのでした。
ズベさんに出迎えてもらえて、目的地まで辿り着いた安堵でやっと緊張をほどき、やっぱり大きな作品いいなあ、圧倒されるなあ…。息を深々と吐きました。ズベさんの、制作にかけるまっすぐな愛情とか熱情とか、ぐらぐら煮えたぎるマグマみたいなその眼差しと対峙すると、わたしは我が身が不甲斐なく、今年は制作道場あんまりうまくいってない気がするのとか、山下さんをなかなか笑わせられないのとか、そういうことまで話した。
上手に出来ない。わたしには出来ない。
涙に沈む中で、それでもなんとかしなくてはと、もがくように出てきた「後ろ髪ひかれない」。生まれ出ずる「後ろ髪ひかれない」。
自分もアイディアも、いつ墜落してもおかしくなかった状態から、すんでのところで踏みとどまれた8月4日の休館日は、これからだってぐらつきながらやってやるんだという、厳かな決意が芽吹いた一日でもありました。
「後ろ髪ひかれな」くなる日を目指して、わたしはあの日よろよろと小国まで帰ってきました。
足を止めなければ、自分の意志とは無関係に、必ず終わりが訪れることをわたしは本当は知っていた。
闇と光とになすすべもなく呑まれながら、この一寸先の闇はいずれは一寸後に、二寸先に隠れている光もやがては一寸後、二寸後にちゃんと遠ざかっていくことを、わたしはずっと、本当はわかっていたんじゃないのと思います。
ズベさん、ありがとうございました。
日記まだ続きます。!
----------本日の学芸員赤ペン----------------------------------------------------------
後ろ髪が取り残されるプラン、プレゼンしてもぽかんとされて・・・と書いてありますが、例によって発想と具現化の間に深遠な地割れが横たわっていましたので、最初に聞いたときはまずはぽかんとなります。初めは、後ろ髪がゴムで引っ張られて走るとびよーんと離れるとか、そんなようなことを考えていたと思いますが、「じゃあそのゴムどこに着けるの?」とか「どうやって固定すんの?」とかそんなことを話しているうちに、流れていった企画だと思っていました。
ところが、起死回生の最終日プランとして復活。
最終日プランとして復活してきたプレゼンは、一目で(実際には一聞きで)「!」と思いました。最終日、いけるんじゃないかな。思いがけず、感動作品になるんじゃないかな。これ以外ないんじゃないかなと確信。
このアイディアが、ズベさん(こと、鉄の作家藤本高廣さん。くるみちゃんとズベさんは福山アートウォーク2012以来の知り合い)のアトリエに走っていったときに思いついたものだったとは知りませんでした。
くるみちゃんがズベさんのところに行った時のことはよく覚えています。休館日前日、ちょうど小国町内で開かれていたズベさんの展覧会を夕方随分遅くなってから見に行って、ズベさんのアトリエに、明日の休館日に走って行くと言い出したのです。道も何も知らないのに。距離にして片道約50キロ離れてるのに。
私は明日福岡いかなきゃだから送っていけないよ。
道わかんないでしょ。
うーん、道説明するのも難しいし。
途中は山道だから人通りとかないよ。
道聞く人もいないよ。
通り一遍の反対はしたものの、ナイキの耳には届かないらしい。
無謀とも思える100キロ走は、途中土砂降りの中車に乗せてくれた小国の方の親切などに救われて、無事に帰オグ(小国に帰る)し、大変だったけど「行ってよかった」と言っていました。道中のエピソードは聞いてたけど、途中でこんなことがあってたなんて。
ズベさんのところに行くと言い出した時、くるみちゃんはなんとなく、制作のための糸口を求めてもがいているような感じがしました。なかなか火がつかない制作を爆発させるための着火剤を、当てもないのにとにかくどこかに求めているような感じ。
それを、私はその時確かに感じていたんです。私の胸を横切った。確かに。はっきりと。
でもそれを掬い取ってはいなかった。
どうして掬い取らなかったんだろう。
「どうかな、私たち大丈夫よね、うまくいってるよね。」
今年の制作道場が始まってからたびたび口に出してきました。
去年は決して出てこなかったセリフ。
今思えば、これを口にしている時点で大丈夫ではない。
当時、始まって1週間の制作道場について、二人とも同じように「大丈夫よね・・・大丈夫かな・・・」と思っていたのに、くるみちゃんに一人でもがかせて、50キロ離れた人のところで「山下さんが笑ってくれない」と話させていたことを考えると、私は胸が苦しくて苦しくて胃が口から出てきそうになる。
私は隣にいたのに。
わたしは、どうして、きづけなかったのだろう。
誤解しないでいただきたいのですが、私たちは決して仮面夫婦だったわけでもなく、ツンケン険悪ムードだったわけでもなく、毎日仲良く過ごしていたし、去年と違ってスマホユーザーになった私たちはいつもクマのキャラクターの無料メール(メールなのか?)で夜も休みの日も会話していたし、今年のくるみちゃんの宿はうちの隣だったので、一緒に温泉に行ったり、果物のおすそ分けをしたり、むしろ去年よりやり取りの数は多かったかもしれません。
でもそんなことじゃないんだよな。
このままではうっかり日記が終わる前に総括してしまいそうになるので、私のはらわたを乗せて次の赤ペンへ続く!
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子