後ろ髪ひかれない 8月31日 回想3

よかった、今日は雨じゃないみたい。

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最終日の朝、庭砂利を整える山下さんの後ろ姿です。

 

今年の8月は、雨がずっと降っていました。

山下さんには絶対言うなって口止めされていたけれど客足はやっぱり鈍くて、もともとわたしの集客力の無さには定評があるし、お客さんが少ないことに対する肩身の狭さをわたしはきゅうきゅうと感じ続けていました。

 

ツイッターとかフェイスブックとかミクシとか。 苦手とか言って避けている場合では、いよいよないんでないか。とか。

ていうかやったところでそもそも友だちいないけど。とか。

ここのブログのコメント欄はせめて残しておくべきだったのか、とか。でもコメント欄開設しました! って言って何も来なかったらほんとに立ち直れないから、そういうおぞましい試練を課すのやめようよ。とか。

 

つまらぬことで頭を悩ませて、愚かなり。

 

そう思われるかもしれませんが、当事者としては全然つまらぬことではないっていうか、お客さんの反応あっての制作道場ですから。つい反響を気にしてしまうのでした。

 

…気にしすぎたな。

 

2年目に入って、こちらからは見えないけれど制作道場を見てくれている人がきっといると思ってしまって、彼らにどう思われるだろう、どうしたら良い評価をもらえるだろうかとあくせくしてしまいました。それが結果的に縮こまった表現に陥っていったのだと思う。

 

もっと身もふたもないことを言うと、賢いって思われたくなっちゃったんですよ! バカのくせに、一生懸命バカだと思われないように振る舞っていた。…愚かなり。

例えば、先ほど出てきた「あくせく」の使い方だって多分ちょっとおかしいじゃないですか。でも、おかしいってことはうっすらわかるけど、ふさわしい表現は見当たらない。そこで、1時間も考えた末に姉に電話して聞くとか、結局自分に操れる平易な言い回しに置き換えるとか、そうやって慎重にやっていたら、そりゃあ鮮度もインパクトも爆発もなくなるでしょうよ、と今となってはそう思う。

 

「あくせく」に象徴されるような保守的なためらいが今年の制作道場の一事が万事においてあって、って、ああっ! 「一事が万事」の用法も間違ってるかも!!

加えて、「あんたその、言葉の過ち披露も計算でやってるでしょ。」というつっこみもあるわけです。「『間違っていることを知っている』って結局バカじゃないアピールがしたいんでしょ。」っていう。

 

ちがうんですよ。何が正しくて何が間違っているかを熟考するようになってしまったということが言いたいんです。

去年の30日間があって、今年も30日間をやり仰せようというときに、勢いだけでいいや! ええい! とは言えなくなってしまった。

 

さらに困ったことにわたしはそんな自分を肯定できなかった。

わたしは子どもらしい子どもが全然好きではなくて、それは無邪気さの演出具合が自分の手口とかぶるからなのですが、なんか…今年はガキどもをけっこうかわいく思えてしまって…。自分から毒素が抜けつつあることをいとわしく感じた。もうおもしろいこととか言えないよ、と思った。無理があった、もう、本当に、無理があったんです…。

 

わたしが去年やっていたのは、何も知らない子どもが勢いだけで「どうだどうだ!」ってアートとたわむれるようなことだったと思うんです。それを、子ども好きのやさしい皆さんは「おもしろいねおもしろいね」ってちやほやしてくださって、それで図にのって2年目やっちゃったんですけど。

 

…今年も子どものままいられるっていう、図々しい自信があったから始めた、「今年も若木くるみの制作道場」。

でも、去年みたいにはできなかった。

去年みたいにはできないんだなーって感じ続けた30日間でした。

去年のダイジェスト映像が会場でずっとループされていたのですが、まばゆいこの光景はなんなのかなあと思って、わたしは惚けたように画面に見とれ続けました。

今、もう昂っちゃって、キーボードを打つ手が震えるぐらい、悔しくて悔しくて耐えられない。

わたしは去年を超えられなかった。限界だったんだって。でも認めたくない。

 

どうかこれを「成長」などという未来ある単語で済ませてくれるなと思う。

制作道場2年目は、わたしの老化の記録でした。

 

 

最終日の朝、美術館へ向かう車の中で、山下さんが、「ゆうべ思いついたことがあるんだけど」と切り出されて、なんで今なのかなと思いました。思いついたときにメールで伝えてくれたらいいじゃないですか。

わくわくしながら続きを待っていたら、

「わたしも後ろ髪、剃ろうと思うの。」と。

「わたしも、後ろ髪、ひかれたくなくなりたいんだ。」って。

 

わたしは助手席で、山下さんの運転されている右側をとっさに見られませんでした。

 

「………………」

 

「…………………ひろこ…」って呼びそうになりました呼びませんでしたが。

 

 

わたしは今まで体を張って許されようとしてきたけど、体張るって周りの人にとっては必ずしも気分のあがるものではないんだと思った。そこまでしないでくださいと思いました。でもそう言ったら「いや、わたしとくるみちゃんとでは立場が違うから。みんなは体張るくるみちゃんを見たいと思うよ。もっとやれもっとやれ、だよ。」とのことで した。……そっか。

 

つづく。

 

--------本日の学芸員赤ペン(改)------------------------------------------------------------------------

 

ああ、来館者数のこと言っちゃったか。

弱小美術館の弱みでもあるお客さんの数。今年少なかったのは、何もくるみちゃんのせいじゃなくて、6月くらいからずっと低迷気味なのです。どうしてだろう。消費税のせいか?他館のみなさんいかがですか。

あーあ、こんなところでこんなことばらす羽目になっちゃったじゃない。どうしてくれんのさ。

 

でも実際、制作道場を見に来て、ワーワー喜んでくださるお客さんの数が、モチベーションに大きく影響することは確かなのです。普通の展覧会ならともかく、制作道場の場合、お客さんの参加を見込んだプランも多いし、くるみちゃんが受けた日々のボディブローはみんなが思う以上にダメージを残していたのではないだろうかと思います。

 

くるみちゃんの日記ににじみ出る今年の道場への思い、切なく読んでいますが、私も制作道場の2年目について思うこと、去年との違いについて思うこと、くるみちゃんと私との間に流れたものなど、言いたいことや言うべきことは山のようにあります。

何といっても特別な2年間だったので、これらが私に刻み付けたものは「耳なし芳二」の文字どころの比ではありません。くるみちゃんにとってもそうだと思います。多分、くるみちゃんも私も語りたいはず。語って語って吐き出さなくては消化できない、飲み込んだままの大きな塊。

その辺は最後にじっくり語らせていただきます。

 

・・・とかできるのかな。おおきな風呂敷。

 

今年の制作道場の最終日を迎えるにあたり、もちろん寂しい思いもありました。でもあっという間の30日間でありながら、私にはやっとやっとたどり着いた30日目でもありました。くるみちゃんもそうだったんじゃないかな。もがきもがきしながら1日1日をのりこえて積み重ねて、いよいよ明日に迫った最終日。

その名も「後ろ髪ひかれない」。このタイトルに込められたくるみちゃんの決意を考えると、そして、今年の30日間をやりきったという実感と共に終わるためには、私は何ができるだろう。くるみちゃんに何をしてあげられるだろう。

 

そんなときに頭をよぎったのが、くるみちゃんから聞かされたたくさんのプランの中の一つ、「お客さんに十円ハゲをつくって顔を描く」というプランです。

これなら私も後ろ髪ひかれなくできるんじゃない?

私も決意しめしたい!

私も後ろ髪ひかれたくなくなりたい!

 

夜中に別の作品の赤ペンを書きながら思いつきました。でもでも、これを夜中にクマ印の無料メール(メール?)で相談したりしたら、ドン引きされるかもしれないし。何しろ髪の毛切るってちょっと重いし。作品に勝手に入り込むわけだし。でもきっとインパクトあるし。みんなびっくりすると思うし。くるみちゃんも驚いてくれるんじゃないかな。

こ、これはきっと、直接顔見てプレゼン(というほどではないが)したほうがいいよね・・・。

 

そうして、最終日朝の車中プレゼンとなったのです。思い返せば今年の制作道場の初日のプランも、初日2日前に福岡まで迎えに行ったときの車中で初めてくるみちゃんから聞かされたのでした。顔見て話したほうがいいと思ってって。

車中プレゼンに始まり車中プレゼンに終わる2014年の制作道場

 

次回赤ペンは、私のはらわたについで毛髪を乗せてお送りする!のかな。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子