後ろ髪ひかれない 8月31日 回想5

日記をあと一回で終わらせるとか言ったもんだから、改めてすべてを見直してよくよく練ってから書かなくてはと、最終日の更新をほったらかしにしてこれまでの30日間をさかのぼっていました。

 

納得がいかずにまだ一度も読み返せていなかった序盤の日記。

たったひと月前の出来事だとは信じられません。

書いたら書きっぱなしだった出だしのあれこれは、文法が何か変だったり語句と語句の順序がおかしかったり説明不足だったり段落が唐突だったり、パッと読んだだけでも苦笑してしまうくらい読みづらかったのですが、何喰わぬ顔で、ぱちぱちっと! 編集してしまいました! 紙媒体じゃないって最高! いつでもいじれる最高! 

しかも、読めば読むほど、……ちょ、ちょっと待っておもしろいんだけど! って……。

想定外の心変わりに、今、激しく動揺中です。

 

信じられない。

小国を発つ日にあれだけ山下さんと大号泣の大反省会を繰り広げたのに!

つい昨日までは、悔しい悔しいってあんなに身悶えしていたのに!

アメージング!!

…………………………情緒不安定か? 躁か。

 

いやあー、山下さんと、「うまくいかなかったって同じ感想を持っていたところが、やっぱり、ともにつくりあげてきた展覧会だったんだね! キラキラ!」みたいな、手と手を取り合って少女マンガみたいなウルウルをまき散らしていたのに、山下さーん!! わたし! なんと! ここにきて、今年もやっぱりすごく良かった気がしてきちゃいましたー!!!

 

どうかな。日常に戻ったせいかな。

社会人みたいにまた働き出して、自分が小国でのあの「若木くるみ」ではなくなったせいかもしれません。

わたしじゃないだれかがやっていた「制作道場」だと思って見ると、公平に見て、決して悪くなかったのではないか? というか、悪かったはずがないではないか。

わたしは記録に残る自分の姿があまりにもいきいきして見えるので驚いた。

 

山下さんがいて、身を粉にして支えてくれたスタッフの皆さんがいて、今年も去年と同じ4日目に来てくれたカカシのカップルとか、トラバターのお姉さんたちがいて、何度も通ってくださったあの方この方がいて、それからゲスト赤ペン先生がいて、遠方からはるばるお越しくださったあの方この方がいて、真剣なアドバイスをくださったあの学芸員さんこの学芸員さんがいて、企画書を考えてくださったあの方この方がいて、相談を聞いてくださったあの方この方、手伝ってくださったあの作家さんこの作家さん、協力してくださったあの先生この先生、会ったの初めてだったけどかたい握手を交わしたあの方この方、笑顔で迎えてくださった小国中の生徒の皆さん、…もっと、もっと。

もっともっと、です。

一生かかってもここじゃなければきっと味わうことのできなかったまぶしい出会いに彩られたこの展覧会が、だめだったわけがなかったでした。

 

って、今の今は思っているのですが、どうでしょう。

書けば書くほどクソ暗くなる数日前の日記に、自分でもまずいなと思って、「大丈夫! これからおもしろ方向に舵取りするから!」なんてうそぶいていたのですが、先の見通しなどもちろんちっともありませんでした。

それが今、まさか本当にここまで気が晴れているなんて。

わからない。自分で勝手に決めたルールに基づいて、わたしは平気で自分ごと騙しにかかるんだろうし、自分の何もかもが全然信じられませんが、だからこそ、この持続しなさすぎる感情のありのままを、出来る限り書き留めておきたいと思う。

……そういう制作道場の毎日だったように思うし。

 

山下さんの計画していたであろうこれからの赤ペンの構成や、自分だってどこかである程度目処をたてていたはずの日記の進路をぶったぎってどこでもないところに不時着しそうですが、やっぱりわたしはそうありたかったんだと思う、安心させたくなくて、ハラハラしたくて、めんどくさくてすみません。

 

でも、実際、みんなでつくってきた制作道場だったからな。

山下さんと、感傷をエサにして互いの後ろ髪をひっぱり合いまくったここ数日間でしたが、それは反省の段階を越して、気持ちよくなりたいだけのもたれ合いだった気がする。

そんなことないよ! っていう反論赤ペン待ちでしょうかわたしは。

ずるいな。

 

自分のこの急激な心変わりを吸い込んだ秋空が、小国と京都とを等しく結んでくれますように。

 

…って、あれ? 最終日の日記書くはずがまた総括してた。

なぜだ。 

 

まあ紙媒体じゃないからいつでも上書きできるからと思って、センチメンタルとドライアイとを行き来しながら、本当に次は最終日の日記を書くつもりです。

明るい心持ちのまま、キープしたいです。

がんばります……。情緒…。

 

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---------本日の学芸員赤ペン--------------------------------------------------------------------

 

ここへ来て日記の思いもよらない舵取り。

くるみちゃん、あなた、この日記の回想3までは悔しさのあまり震えてたんじゃなかった?

それがいきなり今年もサイコー!って。

いや別に、今年もサイコー!に異論は全然ないけど、いきなり一人でさっさとトンネル抜けちゃって、まさにコペルニクス的転回。コペルニクス的転回、意味がわからなければ辞書で調べて下さい。

 

もうね、今日は感情的に書かせていただきますよ。

まさに「この持続しなさすぎる感情のありのままを、出来る限り書き留めておきたいと思う」ですよ。私は今はまだ持続してるけどね。

 

この30日間は、私にとっても特別の30日間でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、終わってからの日々は、たびたび押し寄せる激情の渦に飲み込まれないように、何とかやっと立っているという感じです。もう10日もたとうとしている今、表向きには普通に仕事をしていますが、出力を最大にしても100のうち2くらいにしかならないポンコツ自動車にでもなった気持ちで、息すら小さくして過ごしています。自分でも驚くような激しい感情をやり過ごすのが精一杯。

でもさすがに40年以上生きてくると、この感情も何かのきっかけで落ち着く先を見つけて静かに波が引いていくことがわかっています。だからこんな20歳の女の子みたいな「胸が苦しいんです!」的発露、本当に恥ずかしいし、馬鹿みたいだし、きっと後で読み返すと今度は穴にでも入りたくなっちゃうことはわかってるんです。

 

でもねくるみちゃん、「山下さんと、感傷をエサにして互いの後ろ髪をひっぱり合いまくったここ数日間でしたが、それは反省の段階を越して、気持ちよくなりたいだけのもたれ合いだった気がする。」って、わかってるよそんなこと。大いにわかってるよ。でもそうしないと、着地点が見つけられなかったし日常の中に戻っていくことができなかったんだよ。そして私はまだ今でも見つけられないでいるんだよ。

 

馬鹿だと言いたい人は言えばいいし、酔いしれていると言いたい人は言うがいい。ウザけりゃウザイで結構。

 

私にとっては、「今年もサイコー!」と、この感情の激流は一致しないのだ。「今年もサイコー!」は実際そうだったし、各自いろいろ思うところはあったとしてもそれはそれで前向きな反省。学芸員としてそこはいくらでも何でも言って差し上げる。でも今年がサイコーでも何でも、私の中で流れ落ちる激情の瀑布は、増加こそすれこれっぽっちも減じない。それは、サイコーかどうかよりも、「制作道場」を失ったことによる、自分が思っている以上に深く鋭利な喪失感によるものだから。

知っている感情の中で私の中のナイアガラ瀑布に一番近い感情は恋。それも失われた。振られたのではなく、終わった。どうしようもできないやつ。

鼻で笑いたければ笑えばいい。失笑、苦笑結構。

驚くべきは、これが、「展覧会」の喪失で起こっている感情だということ。

展覧会よ?てんらんかい。テンランカイ。展覧会でこんなことになるなんて考えもしなかった。

もちろんこの展覧会「制作道場」は、くるみちゃんあってのことですが、くるみちゃん単体の喪失ではなく、くるみちゃんと共にある「制作道場」が手をすり抜けていってしまったことが、私を立ち上がれないほど打ちのめしているのです。

「ロス」なんて簡単な言葉でくくってくれるな。

でも、展覧会を失ったことで、食事も喉を通らず、深呼吸も出来ず、油断すると涙腺が決壊するような経験をしている学芸員なんて、世界中でもそうはいないはず。「制作道場」が私をこの点において(だけ)稀有な学芸員にしてくれたのです。かっこつけた学芸員風解説で語れば「かけがえのない展覧会」とか言うんでしょうけど、そんな心のない薄っぺらな言葉使うな、いつもの私。

嗚咽をこらえるな。

 

ああ、つい激情にふりまわされてしまいました。なんか吐き出したらちょっとすっきり。はらわたトークにお付き合いいただきありがとうございました。

 

だいたいさ、くるみちゃん、日記全部書いてから総括するって言ってたじゃん。こんな風に途中に総括挟まれてもさ、赤ペン書きにくいし、くるみちゃんの日記の時系列からして「喪失」の本当のところはここでは語れないし、もう、ほんとに。

 

しかし、たとえ目まぐるしい日記に振り回されながらも、こんな風に愚痴りながらくるみちゃんに赤ペン書けるのは、「かけがえのない展覧会」あってこそなのですわ。ね。

ドライアイなら目薬さしな。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子