本日の学芸員赤ペン ー「後ろ髪ひかれない」回想7へー

-----本日は長いので赤ペンも独立------------------------------------------------------------------------------

 

制作道場の「卒業」を考えるようになったのは、いつ頃だったろう。

今年の道場が始まって早い時期だったような気もするし、ギリギリまで考えていたような気もする。

でも、もし卒業するなら、私の中だけでとどめておくのではなく、みんなの前でちゃんと宣言したいと思っていました。来年度のスケジュールが発表されて、そこには別のアーティストの名前があって、そこで初めてみんなが「ああ、もうくるみちゃんやらないんだ」と知る、という風にはしたくなった。ちゃんと終わりたかった。

でもまさか、最終日の作品の最後がその舞台になるとは思ってもみませんでした。私の勝手な算段では、終わって打ち上げの挨拶か何かで宣言ってことになるかな・・・と思っていたのです。 (大してちゃんとしていないか・・・) 

 

ただ、それを事前にくるみちゃんと話すかどうかは、ちょっと迷っていました。そのくらい、私たちの間ではタブーというか、アンタッチャブルな話題であり、でもそうであっても私は、くるみちゃんも同じ気持ちでいるだろうと思っていました。制作道場でできることはやりきったと。

くるみちゃんは日記でショックだったと言っていますが、それは多分、発表の仕方がいきなりだったからであって、本当の本当には気づいていただろうと思います。

 

いや。そうじゃないな。

 

今書きながら気づいて自分でも少し驚いたな。私はみんなに宣言したかったのではなく、みんなの前という逃げ場のなさを借りて、くるみちゃんに、ナイキの耳に、宣言したかったのかもしれない。2人きりではアンタッチャブルに手をつける勇気がなかったのだ。きっと。

 

制作道場を卒業することに決めたのは、今年がおもしろくなかったからとか、だめだったからとか、そういうネガティブなことでは全くありません。改めて今年のタイトルのラインナップを見ると、こんなに!というほどずっしりとした内容が並んでいるし、お客さんも毎回本当に喜んでくれていたし。

それでもなお制作道場を卒業するのは、くるみちゃんと私がやる制作道場には、もうこれ以上はないと私が判断したからです。判断したというより、実感したといったほうがいいかもしれません。

 

そもそも「制作道場」とは、昨年第1回目の若木くるみ展を開催するにあたり、どんな内容にするか打ち合わせしているときに振って沸いたように姿を現したアイディアでした。1日1作品30日間、学芸員の赤ペンチェックと共に七転八倒しながら制作し続けるこのスタイルは、くるみちゃんのギリギリの瞬発力、何をしでかすかわからない期待感、自らへの信頼に根ざしたがむしゃらな無謀さを表現するのにぴったりで、武道の道場で鍛え上げられる様子になぞらえて「制作道場」と名づけられました。

「制作道場」は、作品が形として誕生する前の企画段階から始まり、終わって反省会をするところまでを一つの作品ととらえ、さらにはその1日1日の作品が30個集まって一つの大きな「制作道場」という作品として完成します。展覧会でありながら作品でもあり、作品でありながら材料の買出しのような瑣末なところまでが含まれるという、ある意味無駄のないというか、例えて言うなら「ダシ殻まで何とかして食べる」という自家発電自家消費のあり方をしています。

制作過程や打ち合わせ過程までも作品にする手法は現代美術においてしばしばありますが、「制作道場」の場合は、1日1作品新作という過酷な条件に学芸員によるダメだしという薬味を加えて成り立つ点において他にはないおもしろさが生まれたし、くるみちゃんの未完成な完成という魅力を大いに発揮できた傑作だったと思います。

 

しかし。

 

制作道場のおもしろさは、ギリギリでがむしゃらな七転八倒にあります。去年の道場では、「こんなの思いついた!」「こんなのやってみたい!」というアイディアを無邪気に七転八倒しながら実現し、打ち上げ花火のようにインパクトのある作品を次々に発表しました。

そして2回目である今年。いざスタートしてみたら、当然われわれは既に去年のようにピュアではありませんでした。無邪気に七転八倒することで満足しなくなっていた。さらに七転八倒も上手になってきていた。どうやれば成立するか、どう見せれば良くなるか、想像できるようになっていた。もっと言えば、作品についても、楽しく打ち上げ花火をドカドカやれば満足できるわけでもなくなってきていた。

入念に考え、しっかり打ち合わせをして、細部を検討してから実行へと移すようになっていた。

それを成長と言うのかもしれない。もしくは老成と言うのかもしれない。

もちろん、今年の道場においても、実際の日々の制作は本当に七転八倒のでんぐり返りだったのですが、打ち合わせや相談を入念にした分、作品のコンセプトは深度を増したと思います。

そしてその分、作品は鮮度や勢いを失ったかもしれません。

 

しかしこれは決して悪いことでも、だめだったということでも、退化したということでもないのです。実際のところ、客観的に見れば、例えば「汗で戻す」や「小国ダービー」、「ソロボウラー」、「顔リンピック」など、「これのどこが勢いがないというのだ!」と思います。

でもそれでも。

少なくとも、私たちは無邪気ではなかった。

 

無邪気に七転八倒に夢中になれる時期を過ぎ、作品について、表現についてさまざまに思索をめぐらすようになったということは、つまり、制作道場ではできない表現へと進もうとしているということなのではないかと思うのです。例えば、今年の作品、特に後半の作品群(例えば「くるみのひらき」以降くらい)が質的にも内容的にも充実してくるにつれて、あるいは充実すればするほど、私にはそれがマケット(実際の作品のイメージを形にした模型)のように感じられるようになりました。これはもっと時間をかけて、制作にもじっくり取り組み、発表する場所や状況、ロケーションなどにも十分こだわって発表すべき作品ではないかと思うようになったのです。

制作道場の、1日1作品という条件で表現しきれるものではないと。

くるみちゃんが今表現したいものは、そういうものなんだと。

 

制作道場というスタイルは、確かにくるみちゃんの特質を表現するのにぴったりの表現方法だと思いますが、それは去年のくるみちゃんに最適だったもの。今年を経て、今のくるみちゃんには、別の表現方法が必要なのではないか。制作道場というスタイルは、今のくるみちゃんにとっては「最適」ではなくなってきているのだ。

2年間60作品を発表し続けて、人が進化しないわけがない。ましてあんなに毎日格闘し、必死で考え、全身全霊で実行し、本気で反省する毎日を繰り返し、その歩みが人を進めないわけがない。

そのあたりから私は、制作道場というスタイルでできることはもうやりきったと、腹の底で切なさと安堵をぐるぐる巻きにしていた。

時期が来たのだ。歩みを止めてはいけない。二寸先の光を信じて進むために。

 

そうやって私は、私たちは、制作道場を卒業する。

あえて「卒業」といい続けるところが実はかなり恥ずかしいのですが、別に48人組のアイドルになぞらえているわけではなく、「やめる」「おわる」という言葉とは違う、次の段階に進むときが来たということを言いたいのです。

 

たくさんの人に「また来年も!」と言われたし、小学生の女の子にじっと目を見つめられながら「来年もくるみちゃんを呼んでください」と言われもした。できることならそうしてあげたい。

でも、制作道場は、お祭り騒ぎのような見かけをしていてもお祭りのようなルーティンではない。毎日が必死の制作であり、作家の全身全霊をかけた表現なのだ。もちろん30日間やればいいというものでもない。やるからには、見ている人たちの意識の次元を一段階変化させるくらいのことをやらなくてはならない。

くるみちゃんが今それだけの表現をするとするならば、制作道場に匹敵する、あるいはそれを超える、制作道場ではない方法を模索しなくてはならない。

私たちはそれに出会いたい。
でもそれは制作道場をやっていては出会えないのだ。
そう自分に言い聞かせながら、私たちは一歩前に踏み出す。


私は制作道場をもう一回やりたいと思っているわけではない。ただ、あの日々にもう戻れないと思うとたまらない気持ちになるのだ。じゃあもう一回やればいいじゃん!という問題ではない。

制作道場を失うことがどうしようもなく切ないのは、本当に大好きなのに、その大好きなもののためには手を離さなくてはならないからだ。

仲良く手をつないでいてはいけない。

踏みとどまっていてはいけない。

薄っぺらな言葉を使ういつもの私の表現だと、前向きな別れなのだ。
なんだかこっけいなくらいに恋愛みたい。言葉を重ねれば重ねるほど「別れ話」みたいになって、こんなものを展覧会のブログに書くなよと思うのですが、しょうがない。展覧会との前向きな別れ。

 

制作道場がすっかり終わり、胸の中にぽっかりと穴を開けたまま日常がさらさらと流れ始めた頃、何気なく去年の制作道場の記録集『制作反省日記』をパラパラとめくってみて驚きました。その中の作品たちがとても若く、もっと言えば幼く感じられたのです。今年の会期中にずっと流れていた昨年の道場のダイジェスト動画は、いつもまぶしく見えてしょうがなかった。光にあふれていて目を向けられなかった。それなのに。

 

すべて終わったからこそ改めて気がついたのかもしれない。月並みな表現で自ら言わせていただくと、私たちは成長していたのだ。去年のものは確かに、今の私たちとは違う。今年の作品は、去年のものとは違って、確かにくるみちゃんなり私なりの「今」が表れたものだったんだと、このとき初めて啓示のように実感したのです。


最終日の日記でもたびたびくるみちゃんも書いているとおり、無邪気に七転八倒できなかった今年は、スタート当初「これでいいのかな・・・」「大丈夫かな・・・」という勝手な思い上がった自意識に飲み込まれ、、いまひとつ乗り切れない日々が続いていました。そういう時私はいつも、「深化したんだよ」とか「成長したんだよ」とか、自らに言い聞かせる言い訳のように繰り返していました。でも、本当は納得なんてしていなかったはず。そう言うしかなかったんだと思う。
そんなときに、どこか遠いところから降ってきてくれたこの啓示のような実感は、私を大いに勇気づけてくれました。今年の制作道場は、確かに今年の表現だった。去年を越えるとか、去年よりおもしろいかとではなく、今年の、今の、くるみちゃんを表すことができていたんだと。それが成長なのか老化なのか、右肩上がってるのか下がってるのかはわからない。でもそれが、真正面から、必死で、がむしゃらに、二寸先の光を信じて進んでいった結果だったのだということが、私を力づけてくれる。

今年30日間毎日毎日格闘したこと、最終日を迎えて以降感情の谷間でもがいたことなどを、1歳若い去年の私たちが、それも、今年の私たちが勝手に敵対視していた去年の私たちが、肯定してくれたようにも思う。


こういう実感が一つ一つ積み重なっていって、10代を懐かしむように、いつか制作道場を懐かしむことができるようになるのだろう。

 

30日間の制作道場が今年も終わる。最後の赤ペン。

そしてやがて制作道場が思い出になる。

あの日剃った私の髪は、もうすっかり伸びて、まだ髪は短いものの、人に見せても全然わからないほどになりました。「この髪が伸びる頃にはもう忘れちゃうかな」なんて冗談を言っていましたが、髪はこちらの心の歩幅なんて気にもせず、ずんずん先へ進んでしまいました。

現実はそうなんだよな。

でも、人生の中で、それも大人になってから、こんなに心が動く経験ができるなんて、しかも展覧会でそんな事になるなんて、思ってもみなかったな。

私はこれからも、くるみちゃんと制作道場を心のすみの小さな箱に入れて生きていくんだろうな。

くるみちゃんはどうかな。

制作道場を観てくれたみんなはどうかな。

 

最終日の「後ろ髪ひかれない」の7回にわたる超大作日記と赤ペンは今回でおしまい。

特に今回驚くほど長くなってしまいました。読みにくくてすみません。本当に5000字超えてしまいました。対抗したわけじゃないのよ!竹口さん!

(ご参照ください:八方美人 8月12日 - 若木くるみの制作道場2014

びっくりするほど個人的な心情を吐露し続けてしまい、自分でも驚いていますが、書くことを通して、制作道場の意味も、制作道場への思いも、確認していったように思います。

展覧会を通して、一学芸員がこんな思いをしたという記録にしていただければと思います。

 

さて、最後にもう1回総括して本当におしまい。

それではまた。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子