制作道場 最後の赤ペン

--------最後の学芸員赤ペン---------------------------------------------------------------------------------------------------

 

先日、制作道場の余韻も冷めやらない中、くるみちゃんが出品中の美術イベント、六甲ミーツアートに行ってきました。六甲山で繰り広げられる現代美術の展覧会で、広大な公園や森の中の随所に作品がちりばめられ、来場者は穏やかな秋の日を楽しみながら作品を探して散策します。

その中で特別の異彩を放っていたくるみちゃん。

後頭部の顔を見かけたお客さんたちはみんな、「わあぁぁ!」「すごい!おもしろい!」と奇声ともつかぬ歓声をあげ、驚き、興味を示し、近づき、笑い、話しかけ、写真を撮り、手を取り合わんばかりの勢いで応援し、名残惜しげに手を振って帰っていかれました。

その場の空気が生み出すものすごい上昇気流。

圧倒的な熱をはらんでお客さんとくるみちゃんとの間で何度も何度も繰り返されるその様子は、私に、あの小国の夏の日々が放っていた熱量を初めて客観的に感じさせてくれました。

「制作道場」って信じられないくらい贅沢なものだったんじゃないだろうかと。

すごいな。

あんなものが毎日、しかも違う内容で行われていたなんて。もう、見なかったすべての人に、損したねと言って回りたいくらいだ。(見てない皆さん、ごめんなさいね。ただのレトリックです。)

 

くるみちゃんはよく、口ぐせのようにこういいます。

 

おもしろいことがしたい

おもしろいって思ってもらいたい

びっくりさせたい

みんなが見たことないものをお見せしたい

今できる最高をお届けしたい

 

例えばもし、作品を生み出すということが、何の基準もルートもマップもない原野に、自分だけを羅針盤にして踏み出すようなものであるとすれば、作家がどんな羅針盤を持っているかが作品を左右することになります。形の繊細さ・精巧さに敏感な羅針盤を持っている人、新しいものに敏感な羅針盤を持っている人、知性に敏感な羅針盤を持っている人などなど。もちろんどの羅針盤ももっとずっと複雑に絡み合った感度を持っていることでしょう。

くるみちゃんはいつも、「自分なんてない」と言います。きっと本人は、そんな確固とした羅針盤なんて持ってないと言うだろうと思います。でもそうではなくて、くるみちゃんの羅針盤は、自分の中に何かを探すものではなく、自分を越えたどこかに向かうことを強く希求する羅針盤なのです。自分を越えたどこかにまだ見たことのない世界が広がっているに違いないという、希望を腹の底に隠した確信。ルートもマップもない原野を前にして、そこに自分の世界を作ろうとするのではなく、その原野に立っていては見えない、その原野の先だか上だか下だかわからないところに突然開ける(かもしれない)新しい地平を信じて目指す羅針盤。きっとその羅針盤はどの方向も指してはいないだろう。でも、見たことのない世界に近づいたらきっと感受してくれるに違いないと信じているのだ。

ここだよ!いまだよ!

 

私たちは、制作道場の日々の中で、くるみちゃんがその羅針盤を握りしめて原野に踏み出す様を毎日見ていたのだろうと思います。感受するのかわからない世界の存在を信じて一歩踏み出すくるみちゃんを、私たちは信じ、ルートを案じ、装備を整え、時にはお弁当を持たせて送り出してきたのだ。そうしながら、一緒におもしろいものをいっぱい見たし、びっくりしっぱなしだったし、見たことのないものもたくさん見た。私たちだけでは入っていけない原野の様子もたくさん見せてもらった。それが新しい地平だったのかどうかはまだわからない。でも、くるみちゃんが新しい地平を目指して毎日毎日新しいルートを開拓して進み続ける姿を見、そしてみんなに見せ続けたことは、まだ見ぬ世界の存在を信じるための種をまき続けたに違いない。

 

私がいつも行く温泉で、小学4年生の女の子とこんな会話をしました。

「ねえ、くるみちゃんのとき、あたま剃ったと?」

「うん、剃ったよ、見る?」(後ろの顔の痕跡を見せる)

「くるみちゃん、顔をバチーンってするやつもしたやろ?あれ痛くないと?」

「ゴムいっぱい付けたから痛かったと思うよ。」

 

女の子は小国チャンネル(小国の町内ケーブルテレビ)で毎週放送された「今週のくるみちゃん」を見てくれていたのですが、この会話をしながら、ふと私は「ああ、この子にはくるみなしの人生もあったんだよなー」と思いました。

顔リンピックの後、小学校にプールのコースロープを返しに行ったときにも、くるみちゃんを見かけた小学生たちが口々に「あ、くるみちゃん!」と呼びかけていました。この子たちにもくるみなしの人生もあったのだ。もちろん、私たちにもくるみなしの人生もありえたのだ。くるみちゃんと出会わない、“ふつうの”人生もあったのだ。

 

そう考えると、私たちがまき続けた種の持つ意味の大きさに圧倒されるような気持ちになります。この種からいつどういう芽が出るのかわかりません。芽を出すかどうかもわかりません。でも、確かに種はまかれているのだ。まだ見ぬ世界を信じることができる種は、その子たちを、私たちを、いつかどこかで救うことができるかもしれない。

 

制作道場が私たちに、小国に、世界にもたらしたものがこれだったとすれば、こんなに誇らしいことはない。例えそれが、「あるかもしれないまだ見ぬ世界を信じることができるとすれば、もしかしたらそれが私たちを救うことがあるかもしれない」という何重にも折り重ねられた仮定の中で、根拠のない希望と信頼のみを根拠にしているとしても、それならなおのこと、計り知れない深さと広さと爆発力を潜ませているように思うのです。

 

いつかどこかで芽が出るかな。

いつかどこかで花が咲くかな。

いつかどこかで爆発するかな。

 

直接であれ、間接であれ、制作道場に触れたすべての人たちの心にまだ見ぬ世界を信じる種が宿り、いつかその種が一斉に芽を出すかもしれない。制作道場が私の心に植え付けたこの想像は、どこまでも広くどこまでも深く広がり続け、この上なく希望に包まれている気持ちになります。薄っぺらな言葉を使ういつもの私の語彙の貧困を恨みますが、未踏の世界へと開かれたこの希望を生んだものは、まぎれもなく美術だと私は言いたい。たとえ毎日の作品が、これって美術?と問われたとしても。広がり続け、深まり続けるこの希望に満ちた想像を生み出したのは、制作道場なのである。

 

制作道場の2年目を終えて、思うことはたくさんあります。原野に足を踏み出そうとするくるみちゃんに、私はルートを案じすぎてはいなかったか。先走って余計な心配ばかりしていなかったか。ただ原野に踏み出す姿をしっかり見つめて応援すればよかったのではないか。赤ペンでは2年目で慎重になりすぎたみたいなことを言っていますが、そんなものはかっこつけた言い訳で、終わってしまった今になって気づくのですが、わたしのとるに足りないちっぽけなプライドが、いいとこ見せようとして、いいこと言おうとして、自由さを失わせていたのだと思います。きっともっとうまいやり方があったはずだ。そう思うととても切ない。

それでもあきらめずに、くるみちゃんは作品が最も輝く方法を模索し続けたし、私たちはくるみちゃんが最も輝ける方法を模索し続けたと思います。そうやってみんなで歩み続けたことが、制作道場を次に進むべきところまで運んでくれた。ゴールへと導いてくれた。他にはない、ここでしかできない、確かに私たちみんなで作ったと思える展覧会を作ることができたことが、何よりの幸せであり、財産でもあります。

 

最後に謝辞を述べなければならない人たちがたくさんいます。

 

まず、制作道場を見に来てくださった方々。何度も何度も足を運んでくださった方々。お手紙や差し入れなどをしてくださった方々。制作道場にかかわってくださったすべての方々。いちいちお名前を記せませんが、皆さんの反応が私たちを大いに鼓舞してくれました。

 

それから、ブログやFB、ツイッターなどを通して応援してくださっていた方々。皆さんにどうすればよく伝わるか、いつも考えていました。皆さんの発信力にも大いに助けられました。

 

そして、ゲスト赤ペンの竹口さん。1日だけの登場なのに、くるみちゃんのスイッチを大きく切り替えただけでなく、制作道場全体の流れをぐぐっと変えるエポックとなる強い存在感でした。スタッフもすっかりとりこです。

 

さらに身内ながら、善三美術館のスタッフ、+zenのメンバー。休日を返上し、くるみちゃんの制作はもちろん、衣・食・住に至るまで万全のサポート体制で取り組んでくれました。技と愛と毒のある自慢のスタッフ。

 

皆さん本当にありがとうございました。

 

最後にくるみちゃん。「くるみちゃんがビッグになりますように。そして、ビッグになるきっかけとなった善三美術館が大注目を集めますように」。他力本願寺への願掛け、かないますように。いろいろ本当にありがとう。忘れられないね。

 

若木くるみの制作道場、これにて幕といたします。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子