一寸先は闇、二寸先は光 8月28日
一寸先は闇、二寸先は光。
このフレーズを思いついたのはいつ頃だったか。
半年くらい前だった気も、そんなには経っていないもっと最近のことだった気もします。
制作道場パート2の開催が決まったのはいいものの、アイディアなんかどこにもなくて、暗くて重いことばかり考えていました。
予定表の7、8月のページをひらいて、「一寸先は闇、かあ…」。
何気なくつぶやいた後で、「じゃあ、……二寸先は、光……」。ぽつんと付け足してみたのでした。
二寸先は光!!
自分の口から明るい希望の言葉がこぼれたことに驚いて、光! 光!! そのまばゆさに打たれて気持ちもパッと輝きました。
闇の次は光だから、大丈夫だから。
そう言い聞かせて自らを鼓舞し、憂鬱から這い出せそうな時に、しかし待っていたのは、
「自分が一寸進んだら光もまた二寸先へ行っているので、永遠に光には到達できない。」
という絶望的な結論でした。
むごたらしい解釈に目の前が真っ暗になりました。これぞまさに一寸先は闇…。
いや、しかし、一寸先が闇だということは、自分の今置かれている現状は闇ではないということだ。
自分の進度と合わせて二寸先へ逃げ続ける光と同じく、闇だって一寸先へと逃げてくれるわけだから、わたしは一寸先に待ち構えている闇を、恐れる必要がそもそも無いのか。
いやいや、目の前に待ち受ける闇の存在に気づいてしまっている心の状態は、もう十分に闇なのではないか。
救いのない自問自答を重ねていた「一寸先は闇、二寸先は光」問題ですが、山下さんやゲスト赤ペンの竹口さん(8月10日参照)にご相談したことでようやく光明が差し込みました。
「一寸先、二寸先って、自分の前方だけにじゃなくて、横にも、後ろにも、ぐるっと全方位にあるんじゃないの?」
闇も光も一気に広がった革命的な発想でした。
そのようにして出来た、8月10日の最終的な企画書がこちらです。
部屋の中に、黒い円柱の部屋をつくる。その空間が闇。闇の内部の床も黒くする。外界と遮断された闇の中央で、わたしはひたすらルームランナーを漕ぐ(前進しているのに闇にも光にもどこにも行けない表現)。床には黒いシートを敷いておき、自分の周りだけ円く切り抜く。自分がいるのは、闇の中にありながら完全な闇ではない、曖昧な場所。
の、はずでしたが、闇の空間を作ろうと円にすると、狭い面積しかとれないので、妥協したというか致し方なくというか、円い部屋ではなく四角い部屋にしてご免被ることにしました。
お客さんには走るわたしの姿が透けて見えるよう、黒いメッシュ生地で四方を囲います。
お客さんから見えるということはつまりわたしからも外の世界が見えるということで、もうその時点で全然闇ではないのですが、いいんです、概念です。
壁を仕切ったら次は床の闇。
当然闇部屋の内部におさめるはずだった床の黒いシートは、「四畳半マンガ(8月26日)」を隠そうとするとどうしても闇の外側にもはみ出ることになって…。
いつもは作品が企画書通りに運ばなくてもドキドキ胸を高鳴らせて楽しめるのに、今回は軌道修正を余儀なくされるたび、心の中で、大目に見てください! と手を合わせてしまいました。
わたしは誰に懇願しているんだろう。どうして今日はこんなに自信がないんだろう。
原因はゲスト赤ペンの竹口さんで、わたしは竹口さんと練ったアイディアを、竹口さんに断りなく変更するのがどうにもやるせないのでした。
素晴らしいインスタレーションにしたいのに、及第点にも達していない…。
空間の見え方が本当によくない。
まず床に敷いた黒いビニールがよくない。
ゴミ袋的な素材が極めて貧乏臭い上に、反射でテラテラ光るせいで中央の闇じゃない部分が全然見えてこない。
ビニールの上から黒い布を重ねてみると、質感がマットになって格段に見やすくなったのですが、美術館にたくさんあるはずの暗幕がどうしても見つからないらしく、3分の1程度しか床が埋まりません。
残る3分の2のビニールの光沢が、ビラビラと視界を刺激します。
うまくいっていないインスタレーションを前に、ぼーっと暗幕の発掘を待っているのは拷問すぎる…。
ビニールの面積を少しでも減らしたい一心で、着てきた黒いカーディガンや黒いタイツを置いてみました。その程度で埋まるわけはないのに。焼け石に水状態になるのはわかりきったことなのに。
それでもとにかくいても立ってもいられませんでした。
一緒にすんなって感じかもしれませんが、災害ボランティアのような気持ちでした。
そしたらなんと、並べた洋服がいい感じに思えてきて、……あれ? これなんじゃない……?
「闇」が黒い衣類で出来ているって、なんか、なんかなんじゃない…?
スタッフの方にお願いして、下着から冬物のコートから、各家庭にあるありったけの黒物を集めてきて床に敷き詰めました。
ビニールのテカリを隠せただけでなく、黒の濃淡に表情が出ました。しかも服なのでこわい。闇らしくこわい。
結局自分にとっての闇って対人関係にまつわる何かだもんなと思った。怒りを買うこととか、傷つけることとか、闇です。
何より、闇を服で表現とかいう現代美術くさいことが、自分のコンセプトとして積極的に発信されたのでなく、必要に迫られてのハプニングだったことがとてもよかった。
もしわたしの頭からそんなことが出てきたのなら、とても許せなかったと思います。黙って有酸素運動しとけって感じです。
けれども、コンセプチュアルなんとかっぽくはなってしまいましたが、わたしはこの作品にやっと感情移入ができるようになりました。見え方もぐっとよくなった。
よくない作品がよくなるのって本当にいいよなあ! 少ない語彙に全感情を込めて思いました。
それから、この変更に関しては、竹口さんの顔色を伺う余裕がなかったことに気がついて、ハッとしました。
作品が自立するのってこういう瞬間なのかもしれないと思いました。
わかんない。でも、竹口さんに、見てもらっていないのでやっぱりわからないです。
黒い服から白い服に着替えてもみましたが、やはり黒を着用することに決めて、いざ、闇の世界に没入。
ひたすらルームランナーを漕ぎました。
ブォン、ゴォン。
足裏でルームランナーのベルトを蹴り下がるごとに、鈍い反響が返ってきます。
歩いても走っても、光には決してたどり着けない。幕の外側には、光が広がっているのに、確かに見えるのに、行けない。自分が望んだ通りの景色です。
いい、いい、救いなどなくていい、光があるってわかっているだけでいい。
闇の向こうの手の届かない光を、わたしは網膜にしっかり焼き付けました。
そうしているうちに、頭に浮かんだのは、「闇と光の表現にものすごく苦労してこんな作品になったけど、もしかして、目をつむれば、一番ミニマムに『一寸先は闇、二寸先は光』表現ができたのでは」という恐ろしい考えでした。
まぶたの壁が黒い覆いで、まぶたの外はもう光で、まぶたの内側は闇の中ではあるのですがなんか潤いもあってそれなりにカラフルなんです。それで、でも闇の外にはもっと鮮やかで強烈な本物の光が溢れていることもちゃんとわかっているのですが、目を開けてしまうと闇が消えて全部が光になっちゃうから、そしたらまぶたの外側にまた新しい闇を探さなくちゃいけなくなっちゃうから、それってこわいことじゃないですか。だから、こわくて、いつまでも目を開けられない。
って、だめか。
こんなプレゼンしかできない時点でアウトだ。ていうか仮にこの企画が通ったとしても、それはもう「家でやれ」でした。
----------本日の学芸員赤ペン-----------------------------------------
「一寸先は闇、二寸先は光」のプランは、今年の道場がはじまる前から聞いていましたが、詳細はゲスト赤ペンの竹口さんとの間に行き交った企画書で練り上げられているので、本来はこの作品の赤ペンも竹口さんに書いてもらったほうがいいのだと思いますが、当日その場にいた者が書くという制作道場ルールで、山下が失礼いたします。相談したら相談しただけ、見たら見ただけ、書いたら書いただけの解釈や意見が存在しますので、どうぞ多めに見てくださいね。
一寸先は闇、二寸先は光。なのだろうか。
一寸先は闇、二寸先は光。なのかもしれない。
黒いメッシュで仕切られた薄暗い部屋。その中で足もとにぼんやりした明かりを点滅させながら歩き続ける人物。歩いても歩いても進まない、どこにもたどり着かない模索の歩行。
企画書では円柱の部屋であったこの闇は、直接的な原因としてはスペースの問題や技術的な問題で、円ではなく四角になりました。外的要因によって当初プランを変更せざるを得なかったかもしれませんが、私は四角であることによって、歩きだそうとしている方向性が表現されたのではないかと思っています。確かに一寸先の闇は前方だけでなく全方位を取り囲んでいるでしょう。しかし、私たちは全方位を取り囲まれた中から、これから踏み出す一歩をどこかの方位に決めて歩き出さなければならない。前後左右ぐるっと囲まれた闇を引き連れながら、この方向に進むんだと決めて一歩歩き出した力強さが、四角い闇に囲まれたこの作品にはあったと思います。
円の闇については実行していないので、私の頭の中での勝手な想像に過ぎませんが、円の闇は、全方位を闇に取り囲まれ、これからどの方向に歩きだそうかためらっている、最初の一歩を出す直前の瞬間を表しているように思います。どの方向にも進める。どんな可能性も選ぶことができる。そんな、可能性という闇に360度取り囲まれたときの緊張感が円の闇にはあります。ただ、一歩踏み出すには、その中からどれか一つの方向を選ばなくてはならない。円の張り詰めた緊張から一歩踏み出したとき、円はブレイクされ、その歩みと共に、円から方向性を持った方形へと変わっていくのではないでしょうか。
また、四角であることによって方向だけでなく時間も表現されていたように思います。闇を引き連れ、二寸先の光を信じて歩み続けている、止まることのなく流れ続ける時間。顔を上げ、前を見据えて、進まない歩みを止めないという意思を感じました。
そして、闇の中で歩き続けるくるみちゃんを見たとき、ハッと気がつきました。私たちは今、光の場所から闇の中を他人事のように覗き見ているわけではなく、私たちもすぐとなりで、くるみちゃんと同じように今から闇へと一歩踏み出そうとしている場所にいるのだと。
そう思うと、一歩踏み出すごとに歩みを光らせながら歩き続ける姿そのものが希望なのではないかと思いました。二寸先に光があることが救いなのではなく、むしろそれを信じて歩み続けている人が他にもいると知ることが救いなのではないだろうか。
今回空間を造形するにあたり、当初のプランから計画が変更になったとはいえ、作品のイメージをその場の具体的な状況や制約に合わせて粘り強く修正を重ねていくくるみちゃんの姿は、さすが作家でした。少しでもよくなるように。少しでもよくなるように。
それはちょうど、一寸先の闇に飲み込まれないように、二寸先の光を信じて歩みを進め続けるこの作品と重なるものでした。
・・・と、まとめるのはちょっとやりすぎというか、強引というか、ありがちというか、新聞の社説みたいな出来レースのまとめになっちゃいますが、「一寸先の闇に飲み込まれないように、二寸先の光を信じて歩み続ける」というのは、なにも観念的なことではなく、人生の特別な場面に限られたことでもないのです。ありふれた日常の中で、いつでもどこにでも抽象的にも具体的にも、私たちが生きるという姿そのものなのだなと、改めて思いました。
薄暗がりの中で顔をあげて歩み続けるくるみちゃんの姿がまぶたに残り続けています。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
ナイキのシュッ 8月27日
「八方美人」や「耳なし芳二」で耳を顔の中心に置くようになってからというもの、いろんな耳が気になるようになりました。
だれかと話しているときにも、肝心の話は上の空でついしげしげと相手の耳に見とれていた、そんなぼんやりが増えました。
皆の耳を見ていて気づいたのは、自分の耳ってシュッとしてるんだな、ということです。
あごのラインの延長上からゆるやかな傾斜で生えてきて、目立たないよう空気を読んでいる耳っていうか…。ひっそり頭部に寄り添っている印象です。もしくは、顔にしがみついて空気抵抗を避けているような。
予備校でよく自画像を描いていた時には、正面からだと耳がほとんど見えなくて、顔も真っ平らな上に耳も無いって描きどころがなさすぎてどうにも画面が締まらないのでした。自己主張しない耳です。……耳己主張(じこしゅちょう)。
自己と言えば、予備校でも大学でもどこででも、巷に多く溢れている呪いの言葉、「自分にしかできない表現を」。
「自分の相撲」とか、「自分の野球」とか、「自分の走り」とか、「自分の絵」にしたって。
そんなもん、あるのかな。
自分が特別な何者かじゃなきゃいけないという強迫観念からそんなオンリーワン緊縛をされて、「自分にしかできない作品を」「自分だからこそできる作品を」と、わたしも、ずっと唱えています。そんなのないんだけどねと自嘲しながら。
しかし少なくとも、わたしのこのシュッとした耳はあまり一般的ではなさそうです。
このかたちを生かせば、「わたしにしかできない表現」の70%はすでに保障されていると思いました。
そこで見えてきたのが「ナイキのシュッ」。
ナイキブランドの顔、あの「シュッ」に、わたしの耳なら、なれそうです。顔は鼻(耳)で決まるっていうし。
決まったー!
もらったー!
70%!!
までは良かったのですが、問題はそこからの30%です。
肝心の造形をどうするか。
きっぱり言い切りますが、全く、見当もつきませんでした。
もう、ここはわたしはジタバタせずに、造形チーム+zenに丸投げしました。
「靴だから、2個ないと1足にならないから、顔用でひとつ、あと体用の大きい靴がほしいです。」
ホームセンターで打ち捨てられていた半額処分の子供用プールを芯にして、表皮のスニーカーっぽい質感は壁紙で、というところまでは付いて行けたのですが、設計図や型紙の段階になったところで尻尾を巻いて逃げました。恐ろしい世界でした。
企画当日。
すっかりできあがっている靴のフォルム!!
まずこちらが体に履く靴。
ペイントのみ担当しました。
そして顔に履く靴。
耳の位置をトレースして、
ナイキのシュッ!!
造形はできないくせして、靴紐を通す穴から自分の髪の毛だしたい! とかそういう細部だけは譲らず、細い三つ編みづくり。
朝から来てくれたお客さんがいて、まだ準備中なのが申し訳なく、暇ですよね? と三つ編みをお願いしたのですが、男の人って三つ編みしたことないんだ…。カルチャーショックを受けました。猫の手も借りたいと思っていたのがほんとに猫の手で、しかし山下指導員の特訓を受けてめきめき上達されていました。さすが器用! ピアニスト! ねこふんじゃった、です。
顔の靴、体の靴をセットしました。
ちょっと試し履きしてきまーす!
おそるおそる走ってみました。
おおーサイズ!! ぴったりです!
足によく合ってます!
クッション性も問題ないですねー!
履き心地も軽いです!
通気性もいい!
夢が叶ったことがうれしくて正常な判断が出来なくなり、我を失って走りながら褒めちぎってしまいましたが、たぶんそんなに軽くはないし通気性に至ってはいいわけがなかった。
みなさん、試走をあたたかく見守ってくださいました。わたしは耳の穴が両面テープでふさがっているため周囲の音が聞こえづらく、拍手で迎えてくださったことは後に写真で知りました。
つま先がへたってしまったので修繕してもらっている間に靴底の描写をしました。
つま先も復活です。
再試走。
やんややんやの喝采を浴びて、恥ずかしくなって耳を隠しました。
今度はお客さんにも参加していただきました。
軽快な足取りです。
パチパチパチ
ふたりでの並走も。
フィニッシュ!
呼吸をそろえて、
ようい!
左足がんばれ!
山下さんもお靴を召されました。
待ってー!
おーい!
右足やーい!
急いでください
ターン!
わざと後ろを走って花を持たせて差し上げるつもりだったのですが、うっかり本気を出して先行してしまいました…。
お疲れさまでした!
遠近法を利用するとこんな写真も。
顔パーツの破損をきっかけに、底がなくても十分靴っぽいという新たな次元に入りました。
髪の毛の三つ編みだけでぶら下がっています。
今後のさらなる展開がありそうで、大収穫でした。
皆さんわたしの夢を叶えてくださってありがとうございました!
梅木さんのこの二日間はこのためにあったんだね! みんなで口々に言い合いました。立体造形のメイン担当梅木さんは、連日の激務がたたってこの日発熱で早退されてしまって…。
わたしは、この力作をなんとかして次につなげようと切なく決意しました。
ナイキの「シュッ」でした。
---------本日の学芸員赤ペン-----------------------------------------------------------------------------
「ねえ、わたしナイキの靴になりたいの。」
大きな女の子の今日の注文は、大きな靴でした。
やれやれ。
くるみちゃんが中に入った上に、それを持って走り回っても原形を保つ強度と軽さ。そしてスニーカーらしいルックス。
こんな“やれやれ”注文が出されてから+zenの造形チーフはこれにかかりきり。そもそも何で作ればいいかあれこれみんなで考えた結果、選ばれた材料はビニールプールと壁紙。いつものように大きな女の子のイメージは完全なるイメージであり、現実と接地している面はほとんどない。それを現実に起こしていく作業はなかなか大変です。
ビニールプールとダンボールやパネルを駆使して靴らしい土台の形を作り、そこに壁紙を貼ってスニーカーの形にする。つまり、大きな紙2枚を使ってスニーカーの形を作り出していかなくてはならない。しかも土台の大きさは決まっているので、自由に型紙から切り出すわけにもいかない。材料の壁紙はギリギリしかないので失敗もできない。
しかし幸い造形チーフと中学校の杉先生は服飾学科出身。立体裁断の技術を活かして(なのか?)切ったり折ったり貼ったりして力技で靴に仕立てました。芸はくるみを助ける。靴の造形にかかった時間は丸二日。
くるみちゃんが大きな靴にナイキのマークをペイントしている間に、今度は頭につける(というか顔に履く)ナイキの靴の造形。後頭部が靴底で、履きこみ口にくるみちゃんの顔があり、三つ編みが靴紐になっている。そして側面には、この作品のオリジナリティの70%を支えるという耳を使ったナイキのマーク。くるみちゃんの頭に合った、かつ着脱できる靴の形を作り、頭に装着したら耳にあたる場所にぴったりくるように切込みを入れる。そしてそこから外耳の輪郭だけが見えるように耳を出す。
懸命な読者諸君はもうお気づきであろうが、「そしてそこから耳を出す」という、この1点のためのみにこの作品は存在しているのです。わかります?造形チーフの頭を散々悩ませ試行錯誤を繰り返した大きな靴も、頭の靴に小さく開けられた切込みから耳を出すためにあるのです。
もちろんこれは、この企画の発想の元にあったものなので、当然企画書にも書いてあるし、何度も話してわかっていたことではあるのですが、実際の労力としては圧倒的に
大きな靴>小さな靴の造形>切込みから耳
「切込みから耳」はもう付録というか、「ついで」ぐらいのことで、全体の造形からしてもサイズは耳のサイズ。極小。
なのに本日の主役。センター。ラスボス。
なんというか、ものすごく険しい洞窟の奥底で宝箱を発見してその中に小さな小さな砂金が入っていたとか、ものすごい深海にもぐって大きな大きな貝の中から小さな小さな真珠を見つけたというか。そこが面白いところではあるんですが、芸術って大変ですねえ。
大きな靴を履いて走っている様子の映像を見て、「夢が叶った!ずっと靴になりたかったんです!ほんっっっっっとにうれしい!!」と連呼するくるみちゃんですが、残念ながらそこにはあまり共感できませんでした。
「切込みから耳」と大きな靴との連携写真とか、大きな靴と小さな靴の並走とかがおもしろかった。しかし今日の作品は、靴の具現化というところでとどまっており、今後の展開のための試走、ならぬ試作、ととらえた方がいいかなと思います。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
8月26日 四畳半マンガ
山下さんが息抜きにどうぞと貸してくださったマンガ、「アオイホノオ」(島本和彦)がおもしろくて頭から離れず、延々考えていると美術館の畳の仕切りがマンガのコマ割りに見えてきました。
「四畳半マンガ」企画が生まれた瞬間でした。
企画実行日は火曜日にして、休館日である月曜日から、マンガ作りを始めました。
去年はちょうど張り替えの時期だったのでたたみに墨で汚せましたが、今年は原状復帰が原則です。
黒いビニールテープで絵を描きます。
切ったり貼ったりをちまちまやっていると、やっと一枚が完成したところでもう日が暮れていて、あたりにはまだ手つかずの気が遠くなるような広大な畳の地平が…。
普段マンガをそんなに読むほうではないわたしは、何か絵がコマ割りされていればマンガに見えるでしょ? と得意の見切り発車で適当に始めてしまったのですが、あっという間に手も足も出なくなり、資料…資料……と山下さんに再び「アオイホノオ」を持ってきていただきました。
そうか、シュタッとかガゴーンとかザッパーンとか、湯気みたいのとか雷とか光線とか、効果音と効果線を入れるとマンガっぽくなるのか!!
ページを開くごとに目からうろこが落ちるようで、どうやっても全部埋まりそうになかった数々のコマのイメージがやっと湧いてきました。
テーマはマラソンにします。
単調な競技なので、すべて走っているコマ一辺倒でも説明がつくと思ったから…。
そこからひたすら作業に没頭し、締切に追われるマンガ家の苦しみをいやというほど味わいました。
開館時間になっても仕上がりまでにはほど遠く、アシスタント(スタッフ、お客さん)総動員で、どうにか「っぽい」ところまで達しました。
一コマの密度が上がると、手の薄いコマの粗さが目について、手を入れても手を入れてもきりがないという悔いの残る時間切れでした。
四畳半マンガ企画は、ここで終わりではありません。
わたしがアシの皆さんをこき使って画作りを進めているわきで、服飾専攻出身のスタッフ梅木さんにはイグサの衣装を縫製してもらっていました。
アイテム1
そして、3Dメガネ。
こちらもスタッフ江藤さんの手作りです。
アイテム2
アイテム1を身に着けてたたみ人間になったわたしが、たたみを一枚外して横たわり、マンガの一コマになるのです。
そこでお客さんがアイテム2の3Dメガネをかけると、
たたみが、起き上がる!!
立体的に、なったでしょう!!
コマの範囲内で「タッタッタッタッ」「ハアハアハアハア」などと効果音つきで走り回って、とても臨場感のある立体映像をご提供致しました。
ビュンッ!
マンガ顔もビニールテープで細工しました。
山下さんがまつ毛のつもりでつけてくれた目尻のラインが、小じわにしか見えずにひどかったです。
まだまだ制作中だった午後に、アートっぽい方がお越しになって、彼はアニメーションの仕事をされているとのことでした。なんの気なしに「どちらのご出身なんですか?」と伺うと、「大作家(おおさっか)芸大です」。
!!!!!
この大学、この言い回し、今回の企画の発端になった島本和彦作「アオイホノオ」の主人公、ホノオくんの通っている大学(大阪芸大が舞台)の呼び名なんです。
山下さんと奇声をあげて、「まさにそのマンガを参考にして描きました!!」と島本先生ご本人を前にしたようなテンションで盛り上がりました。
「島本先生にツイートしたらアドバイスもらえると思いますよ。」
大作家大学出身のお方にこのようなありがたいアドバイスをいただけたので、あとでチャレンジしてみます。
翌日は抜け殻がコマを守りました。
こんこんと眠って日記書けず。
--------本日の学芸員赤ペン-----------------------------------------------------------------------------
休館日から引き続き徹夜の作業を経て、発表当日も制作し続けました。
くるみ先生のネーム(※マンガの下書きみたいなもの)は、休館日も、その夜も、先生の脳内メモ帳に記されたままでしたので、われわれアシスタントの出る幕はなく、気になりながら館を後にした時点でペン入れ(この場合ビニールテープ入れ?)されていた畳(コマ)はまだ7畳中2枚目の途中。ちなみに一コマの大きさ180cm×90㎝。
それでもくるみ先生の目はぎらぎらしていて制作に向かう集中力がすごい。今ならどんな激しい効果線でも描けそうな情熱っぷり。
そして翌朝、われわれが出勤したときには、先生のペン入れが7畳中5枚と少し。だいぶ進んだものの、まだ画面は白々とした印象。しかし、先生のペンが入ったことによってアシスタントが手を出せる場所がずいぶん出てきたので、ここからはスタッフ全員で手分けしてベタを塗ったり(貼ったり)背景を描いたり(貼ったり)消しゴムかけたり(はがしたり)ホワイト塗ったり(はがしたり)効果線描いたり(貼ったり)効果音描いたり(貼ったり)。先生の締切に間に合わせるためにアシも一致団結して手を動かしました。
しかしマンガというものは、白黒だけで、しかもほとんどが線だけで表現されていながらあれだけの情報量を一瞬にして読者に伝えるものすごいメディアだということを、ビニールテープで背景を作りながらつくづく思い知りました。線が多彩。線というものはなんと雄弁であることか。今回のくるみ先生の線も、ビニールテープをそのままで使った箇所はコマ割りの線くらいで、絵の部分は、細かく切ったり重ねて貼ったりして、太さや表情が実に多彩。イメージの絵を畳の上にビニールテープで作り出すためには、当然技法なんてなく、何とかして生み出すしかありません。技法と言うほどのものではなくても、とにかく切ったり貼ったり切ったり貼ったり切ったり貼ったり(以下省略)して、既成の線で妥協しないように粘りぬく。それしかないのだ。
そうして一つのコマに集中すると、となりのコマが気になってくる。今度はとなりのコマで切ったり貼ったり切ったり貼ったり(以下省略)すると、さっきのコマのあそこが気になってくる。そこでまた切ったり貼ったり切ったり貼ったり(本当に以下省略)。どこかで止めない限りどこまでもどこまでも手を入れたくなってくる。
おこがましすぎますが、漫画家の先生方も時間が許せばいつまでも原稿に手を入れたくなっちゃうちゃうんだろうなあと、遠い世界のアシ気分で思いました。
こうやって、ビニールテープで作ったとは思えない、ものすごい作業量の、2日がかりのマンガが完成しました。完成したと言うより、筆を置いたと言ったほうがいいかもしれません。いや、はさみを置いたというべきか?
このマンガの何がすごいかって、2日もかけてこれだけものすごい手数のマンガを作ったのに、これはほんの背景に過ぎないということです。Just しつらえ。日本語で言おう。ただのしつらえ。
お客さんがなんちゃって3Dメガネをかけると、一箇所畳を抜いたコマに横たわり絵となっていたくるみちゃんがおもむろに起き上がって動き出し、立体マンガになる、というのがこの作品の本当のキモ。つまり、これを成立させるための2日間だったのです。このパフォーマンスのリアリティを担保するのは、いかに地のマンガがリアリティを持っているか。いかにマンガらしいか。
制作2日、実演1分。
2日間、大変な作業の中で妥協を最低限までおさえ、立体の造形物では少しも力を発揮できないものの、実はすごく細かくて自在な表現をこなす若木くるみの描写力がモノを言った作品です。それに支えられたパフォーマンスの成功は、お客さんたちの反応に現われていたのではないでしょうか。
細部に神は宿る。です。
よくがんばりました。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
休館日 8月25日
今、明日の準備のための制作中です。
ちゃんと手を動かしているはずなのにびっくりするほど終わりが見えません。
ちょっと休憩して日記を書きます。
今日はロバピーの出品作や、いただいたお便りの返送作業をするはずだったのにできませんでした。メールも返せてない! でも日記書いてる。
なんかもう毎日毎日やりたいことで忙殺されていて、全然走れてないし太るし、「忙しいは言い訳、時間は自分でつくるもの」って、そりゃあおっしゃる通りですが、でもこの忙しさをただの言い訳だと断定されたらキレそう。普段の暇すぎる生活と比較して、今ありえないくらい忙しいのは事実です。
姉と父が先週見に来てくれた時にいろいろダメだししてもらって、
「今年は山下さんがあんたのことほめすぎていてつまらない。内輪で認め合っておめでたい感じ。(父)」
「これは美術なのかって疑問があるのはいいと思うが、これも美術であるって断言されると引く。せっかくの疑問も、断言したいがための疑問のように見えてしまって、どうなのか。(姉)」
「ことばあそびで終わってほしくない(姉)」
「日記の深度が深まったとしても、空間が弱ければ意味ない。見に来てくれたお客さんの中には日記知らない人だっているんだから、日記なしで見応えのある作品を出さないと意味ない。(姉)」
「ただ普通の展覧会と違って、あらかじめ何が起こるかわからないって銘打っているのをわざわざつかまえて、意味ないだの完成度云々だの言われるのはちょっと殺生かなという気もしないでもない(姉)」
「お姉ちゃんはロバピーで文章を書いて、発表するのが恥ずかしすぎて死ぬ思いだったから、それを死なずにしかも毎日やっているというだけで尊敬に値する。(姉)」
そしたら、さっき読んだ漫画本に「恥ずかしいものを世に出してこそクリエイターだ!」って書いてあって、深くうなずいた。世に出るのは、才能ある者などではない。己の恥に直面してもご飯を食べられる、ずうずうしい精神の持ち主なのだと思った。
---本日の学芸員赤ペン---------
今年はくるみちゃんのお父さんにも来ていただけてうれしかったです。ありがとうございました。
ところで赤ペン。私、去年も結構ほめてるんですよ。ほんの数回を除いてほとんどほめていると言ってもいいくらいじゃないでしょうか。そのほんの数回が鬼の学芸員の印象を・・・。
今年がほめてばかりに見えるとすれば、制作道場技術(短期間での発想から実現まで)の進化と赤ペン技術の劣化のせいです。私はクリエイターではないけれど、恥ずかしいものを世に出しながら、あと1週間がんばります!
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
芳二台無し 8月24日
8月13日、体に文字を書いた「耳なし芳二」。
よかった、印象的だった、という声の多かった企画です。
山下さんづてに聞いたのですが、ある方は芳二が頭から離れず、「サロンパス(透明•肌色タイプ)に、お客さんがメッセージを書いてくるみちゃんに貼ってる夢を見た」そうです。
サロンパス! 台無し! と笑ったあとで、そういうのいいなと思いました。
台無し、いいな。
出来のよかった回を出来のいいまま終わらせるのシャクだな。
もう、赤ペンでも「美しい」とか褒められちゃって、わたしは誰かの美しい思い出なんかのまま保管されてたまるかと思いました。
芳二から夢越しに、台無しにしろと命じられている気がしました。
しかし、ただ夢の通りに、「メッセージ書いてください」にすると、まるで「応援してます」「がんばって」とか言われたい人みたいです。それはそれで台無しという感じもしますが、サロンパスは貼るよりむしろ剥がしてもらいたいと思いました。一度貼られたレッテルを剥がすという意味でも。
あらかじめ字を書いておいたサロンパスを全身に貼って、剥がしてもらう。
胸や股間のサロンパスには「剥がすな呪う」「たたるぞ」とか書いたりして。
これで台無しは決まったと思ったのですが、サロンパスは高価なのでガムテープを買いに行きました。
どうせなら痛いほうがいいな、という希望もありました。人様の美しい思い出を台無しにすることにわたしは若干気のひける思いもあって、それに伴う痛みは引き受ける覚悟でいますっていうか、痛がるから許してくれっていうか、…ていうかそんなならそもそも台無しにしようとか思わなきゃいいのに……。
体に書く文章は、13日に勢いで書いてしまった自分の日記にしました。今となっては悶絶するほど恥ずかしい日記です。読み返すことが苦痛でなりません。聞けば山下さんにとってもあの回の赤ペンの自己評価は「最悪」とのこと。ならばと一挙両得を狙いました。
素肌に自分の日記を書く! 書かれた肌をガムテープで覆う! ガムテープの上には山下さんの赤ペンを書く! 剥がす!! テープを剥がすと肌のインクも剥がれる!
日記と赤ペンとが、両方一度に剥がれる!!
…こう説明しているだけでなんか意味ありげです。
ここにいきつくまでに「芳二台無し」の考え得る限りの可能性を探っていて、ああでもないこうでもないと企画を練っているうちに、どうにもこうにも深そうな内容になっていきました。
例えば、いざガムテを剥がすでしょう、そしたら、表面に書かれた赤ペンの語句と粘着面についている日記の語句とはそれぞれ呼応していないはず。それは、「自分の意図と評価とは必ずしも一致しない」という、コミュニケーションのちぐはぐさを可視化したものにならないか。
事前にこれだけ予測できているというのがわたしはまったくもって気に入りませんでした。あらかじめ自分の頭で考えつくようなことは、どうせその程度の、底の知れたことだからです。
あれあれ? おかしいな、もっと外に開かれた、飛べる企画のはずだったんだけどな。
「台無し」を望んだ初期の思いとはかけ離れて、真逆の方向に向かっている敗北感をわたしはひしひしと感じながら、肌に過去の日記を書きました。
恥! 恥で全身が埋まっていく…。全身恥部になった。ガムテープを剥がすまでもなく、既に超痛い作品でした。
書き終わったら、肉体的な痛みの元、ガムテープを貼りました。
ガムテープで隙間なく覆われて自分の恥がようやく隠れたところで、次は山下さんの恥の番です。
山下さん自身の手で、赤ペンを書いてもらいます。「ああ〜、もう陳腐すぎる! まるで内容のない赤ペン!!」山下さんが身悶えしていましたが、わたしは眠たかったので「うるさいなあ」と思いました。
肌を日記で覆う
日記をガムテで覆う
ガムテを再現赤ペンで覆う
熟睡
準備が整いました。
肩にはサロンパス
ベリッ(剥がす)、ポイ(放る)、ベリッ(剥がす)、ポイ(放る)。
リズムよくいきたいのですが、「ポイ」の時ガムテープが指にまとわりついてうまく自分から離れません。
ごく自然に、うっとおしい! ええい! という気持ちになって、しつこいガムテープをお客さんに向かって投げつけました。
おもしろがって投げ返してきたお子さんとラリーをしたりして、それはもう全く趣旨の異なる作品でした。
背中に貼った、自分では手に届かないところのガムテープはお客さんにお願いして剥がしてもらいました。
みなさん恐る恐る、そっと剥がしてくださったのですが、気分的に自分で剥がすよりも痛かったです。
剥がしていただいたガムテはお客さんにつけていやがらせをしました。
怒る人がだれひとりいなくて、みんな温和な表情で「がんばってくださいね~」とかねぎらってくださるのが空しかったです。
よりいっそうの苛立ちを込めてガムテープを投げつけます。
芳二、これで台無しになったのかなあ。
得体の知れない義憤に駆られて、どうしても台無しにしたかった「芳二」ですが、憤りの正体はなんだったのか。
わたしは美しいものが好きで、美しいものづくりをされる作家さんをとても尊敬しているのですが、自分がその領域に足を踏み入れたことを許容できないっていうか、あんたそっちじゃないでしょ、みたいな。住み分けしなさいよ、みたいな。なんか結局、自分に厳しいわたしでした。ストイック!
ベリ
ベリ
ただただ、痛くなりたかっただけかも。
なんか美しい思い出って、死んじゃったみたいでいやなんだと思いました。美しいまま凍っちゃうくらいなら、がちゃがちゃしたまま生きていたいと思って。痛くなきゃわかんないっていうか。今、今と思っていたんだと思います。
「恥」という漢字は、「耳」に「心」って書くんだなあと思って、便利なネットで由来を検索してみました。
諸説ある中、「外の声に耳を傾けるのは人としてのプライドがない恥ずかしいことである」というのが日記を書くにあたって今一番使える説でした。
耳なし芳一は、耳がないぶん、内の声を聴くしかなかったのでしょう。芳一をテーマにした時点で、ある程度内省的になることを義務づけられていた企画だったのかもしれないと思います。
前回「耳なし芳二」で感じた、文字を書く悦楽みたいなものはなかったし、かといってそんなに台無しにもできなかったし、せっかくの日曜日にこれをやって、なんかただの露出狂みたいでやだった。
---------本日の学芸員赤ペン---------------------------------------------------------------------------------------
先日の企画「耳なし芳二」から生まれた「芳二台無し」。
そのリメイク版というか、アンサー作品というか、前作を題材にして新しい作品に作り変えようという企画は、制作道場史上これまでなかったことなので、やってみることにしました。
そもそも「耳なし芳二」は、プラン当初では、今年誕生した「横の顔」を使って、「耳が鼻になってて、つまり耳がないから耳なし芳一」という、どちらかと言えばおもしろ発想からスタートした作品でした。しかし、じゃあ肌に何を描くのか、衣装はどうするのか、などと話し合っているうちに、気がつかないうちに内省的な方向へとベクトルが向かっていきました。
実際、パフォーマンスしている最中のくるみちゃんも、トランス状態に陥っていたみたいだし、そもそも耳を塞いで(というか鼻にして)目を閉じるからには、内省的にならずにはいられないでしょうそれはそれでよかったし、実際、皮膚を文字に覆われながら座り続ける姿は、彫刻のようにフォルムとして際立っていました。
しかし。
たしかにそれはそれでいいんだけど・・・という気持ちもわからないではない。
相手の冗談を真に受けちゃったような気まずさ。もしくは、冗談で言ったのに真に受けられちゃったような気まずさかも知れない。思わず真面目にやっちゃって恥ずかしくなったような。
もちろん「耳なし芳二」は冗談ではないし、シリアスが悪いわけでは決してないけれど、「耳なし芳二」には、メタ視点がなかった。つまり、作品と鑑賞が同じ次元で完結してしまった(それ自体が悪いわけではないが)ことが、くるみちゃんのお尻をこそばゆくしていたのではないかと推測します。だから褒められると恥ずかしくなってしまった。そこで、作品と鑑賞者を含めてその全体をもう一階層上から見るというメタ的視点を付け加えてすべてを“ ”(カッコ)に入れたくなったのではないでしょうか。そして当然赤ペンにも「メタ」がなかった。すごく恥ずかしい。“ ”に入れたい。
そこで、「耳なし芳二」を台無しにすることで“ ”(カッコ)にいれようと試みた「芳二台無し」。
ではどうすれば台無しになるか。例えば横の顔を変な顔にしておもしろおかしくすれば台無しかと言うとそういう問題でもない。「耳なし」とうってかわってワーワー騒ぐふざけたパフォーマンスをすればといいというものでもない。
結局、みすぼらしく見えるようにガムテープで全身を覆って「台無し」を狙ったものの、今度はサイボーグみたいに見えてそれはそれで造形的でした。ならばコンセプトで「台無し」にしようと、身体に日記と赤ペンを書いて、ガムテープをべりべりとはがすパフォーマンスをしたものの、結局既視感のあるストーリーがいくらでも生み出せることになってしまった。
もちろんそれが悪いわけではないのだ。造形的にもコンセプト的も完結していたし、それなりに「台無し」ではあった。でもメタ視点を獲得するまでには至らなかったかもしれない。
台無しもなかなか難しい。
そんな時、あるご婦人が部屋に足を踏み入れた途端におっしゃった。
「あはははははははは!!!あなたなにやってんの!?」
なんという破壊力のある「台無し」。
補足すると、このご婦人は、全く無理解にそう発言されたわけではなく、むしろ最初からとっても好意的で、他の作品にも大変興味を示されたあと、「こんなことあなたにしかできないわよ!」とおっしゃいました。
とはいえ、きっと深い意味もなく発せられた、ひと目見るなりの「あなたなにやってんの?」には、しどろもどろにコンセプトを説明することの陳腐さや無意味さ、説明しなくちゃならないダメさを、机上にずらりと並べられたような思いがしました。
「メタ」とか何とかかっこつけてアートっぽいこと言ってないで足元見てごらん。
あなたたちそれなにやってんの?!
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
メリーゴーラン 8月23日
メリーゴーラン。
「ド」を書き忘れたわけではありません。
走る「ラン」です。
走り回る、世界最小メリーゴーランドです。
ホルスタインはシマウマに
自分の腰回り、前後左右に、4頭の馬の首を生やします。
後頭部や横の顔を駆使して自身に4面の顔をつくったら、4体が、それぞれ馬にまたがっているように、見える。
……はずでしたが、見え…ない。
親子木工教室の講師で来られていた作家の上妻さんをつかまえて手伝っていただきましたが、そもそもこちらで用意した材料と構想が穴だらけで、メリーゴーランドになりそうな予感がしません。
ホースの中に針金を通して芯にする
うまく生えません。
と言って、他に良いアイディアもないので、よれよれのまま走りはじめました。くるくる回りながら進み、一小節ごとに屈伸をいれるのがポイントです。
が、見えない、とにかく見えない、どこからどう見てもメリーゴーランドには見えません。山下さんが露骨に眉をひそめていて、久しぶりの大惨事でした。
キリンの首がもげたので、少年にキリンを持ってもらいました。こういうアクシデントがあるとついついいい写真がとれちゃって、こうしてまたわたしは、別に失敗してもいいかと増長してしまう……。
「どぎゃんしたと」と嘲笑されていたメリーゴーランでしたが、実際にビデオで確認してみると、動くたびにお面がぼよんぼよんしていておもしろかったので、可能性はあると信じてどんどん改良を加えていきました。
メリーゴーランドの屋根にあたる傘にはにんじん(姉に買いに行ってもらった。58円)をスライスしてぶらさげ華やかにし、日傘にしか見えないと指摘された傘自体もビーチパラソルに替え、好き勝手うなだれる馬たちの首はぎゅっと体に巻き付けて固定したところ、すべてがうまくまとまって、奇跡の復活を遂げました。
上妻さんさようなら! ありがとうございました!
BGMはディズニーのインスト「イッツ•ア•スモールワールド」をスマホでリピート再生していたのですが、「どこまで見ていいのかわからない」「動きのバリエーションがない」と飽きられた上に、姉から「まさにイッツ•ア•スモールワールドって感じだよ。」と皮肉られたのがかなしくて、もっと視覚的に「小さな世界」であるオルゴールを出してきました。
お客さんにねじを巻いてもらい、わたしはメロディーが流れている間だけ稼働することにします。
待機場所としてテントも出して、三角旗(これもお客さん制作)で周囲を彩りました。
久々の晴天にも助けられて、ほほえましくのどかな、小さな世界のできあがり。
結果、メリーゴーランドとはまた違う何かではありましたが、首がぼよんぼよん跳ねている様子には、何か異様な生命力を感じるし、がっちり作った造形よりも視線は釘付けになったと思います!
皆さんが思っているであろう、なぜ肝心要の馬の首にこのような馬の首らしからぬ細い素材を用いたか、疑問にお答えしますね。
どうしても「ホース」で作りたかったから…。
馬=ホース、っていう、そこだけでした。
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くるみちゃんの日記を読んで、改めて、「この作品、本当に馬に見せるつもりだったんだ・・・」と思いました。企画書の段階で既に、描かれていたイメージ図はなにやら不気味な生き物のようでしたから。
はっきり言ってこの作品、日記だけ見た人からすれば、もしかしたら現場で目撃した人でも、「なんちゅうふざけた造形や!」と思ったかもしれません。その辺にあるものを使って、一瞬でさささっと作ったものだろうと。確かに写真で見るとそう見える。
でもちょっと想像してみてください。
(以下なんちゃって村上春樹風。春樹ファンの皆さますみません。)
そのとき、頭を剃りあげた大きな女の子が僕のとなりに座った。驚いたことにその女の子は、頭の横にも後ろにも顔がある。僕はなるだけ正面の顔だけを見るように注意しながら彼女のほうを向いた。すると彼女は横の顔にかかった髪を丁寧に指で払いながらこう言った。
「ねえ、メリーゴーランドを作りたいの。」
僕はひどく面食らって、こんなときにどんな表情をすればいいのかさっぱりわからなかった。
「メリーゴーランドって、あの、オルゴールに合わせてきれいに飾られた木馬が上下しながら回転する、遊園地にあるあれかい?」
「ううん、遊園地のやつとはちょっと違うの。馬は4頭いて、どれも身体はホースでできているの。だって、馬と言えばホースでしょ。頭はお面よ。お面はキリンでもロバでも何でもいいわ。そして、乗るのは私だけ。ほら、わたしって4つの顔があるでしょう?一人が1頭ずつの馬に乗るのよ。」
「君の4つの顔が一人ずつってこと?」
「もちろんそうよ。だって、あなたも小さい頃、お母さんと一緒じゃなくて一人で乗りたかったでしょう?」
「それはそうだけど、でも君の身体は一つしかないじゃないか。どうやって4頭の馬に乗るんだい?」
「それはあなたが考えてくれなくちゃ。そのためにここに座っているんでしょう?」
やれやれ。
僕はすっかりぬるくなったビールを一口飲んで、4つの顔を持つ大きな女の子がメリーゴーランドに乗ってくるくる回っている姿を想像しようとしたが、残念ながらそれはそんなに簡単なことではなかった。
(以上回想終わり。無駄に長文にしてすみません)
上記は単なる私のフィクションですが、限りなく現実に近いと思ってください。
見た目の造形は簡単そうに見えても、実際はそう簡単ではないのです。
ちょっと考えただけでも、ホースとお面はどう固定するのか。ホースを馬の首のように造形するにはどうするのか。四股の大蛇のようにするつもりのホース同士はどう固定するのか(この時点で既に馬ではない)。その馬に乗るって言うけど、四股にどうやって乗るのか。またがっているように見せるにはどうすればいいか。乗ってそのまま庭を走るなら馬とくるみちゃんをどう固定するのか。強度はどうするか。
普通には思いつかないような突飛なアイディアを思いつくくるみちゃんですが、それを実際の形にする過程がすっぽり抜けていることが多く、何度も申し上げているとおり、発想と具現化の間に険しい峡谷が横たわっている。
今回その峡谷に橋を渡してくれたのが、ものづくりの人、木工作家の上妻利弘さんでした。細かい技術的なことを+zen造形チームに伝授して下さいました。たまたま上妻さんが来てくれてる日でよかった。そこからさらにくるみちゃんのイメージに合う形になるまであれこれと改良を重ね、いざ庭に出てメリーゴーランが動き出したのは、やがてお昼になろうかというときでした。
その後も、すぐにだれてくるホースの首を何度も修正し、傘をビーチパラソルに改良し、ニンジンのスライスで装飾を施し、音楽を変え、一応完成だろうと思えたのは午後3時位だったのではないでしょうか。
どこにも何にも作り方が書かれてないようなものを、ただただ作家のイメージを頼りに作り上げていく。今回は作家のイメージ図もまさにイメージでしかなかったという五里霧中の創意工夫、みんなよくがんばったと思います。
しかし、もし他館でパフォーマンスとして再制作するようなことがあれば、強度とビジュアルについて再検討が必要です。協力してくれる人とイメージが共有できるように、自分のイメージに近づけたビジュアルイメージをきちんと図面化し、素材などもよく吟味してから出品するように。
(再び春樹風)
四つの顔を持つ大きな女の子は、4頭の馬にまたがり、楽しそうにくるくる回っていた。でもそれはとうていメリーゴーランドと呼べる代物ではなかった。
「私のイメージしていた形とはずいぶん違うけど、でもこれはこれでおもしろいわ。なにかギリシャ神話の女神みたいじゃない?なんといったかしら。たしか・・・」
「メデューサ?」
「そう。私こんなのが見たかったの。私が今まで見たことのないような面白いものが見たかったのよ。」
「どうやら僕は合格のようだね。」
「もちろんよ。今度は何を作ってもらおうかしら。考えておくわ。」
僕は肩をすぼめながら彼女に小さく微笑んだ。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
LOVA&PEACH展 8月22日
今日の企画はこちら。
←ロバのくわえているストローが「&」
タイトルは「LOVA&PEACH展」。
グループ展を展示します。
ロバ&ピーチ。ロバと桃がテーマです。
ラジオ局のお姉さんが寄せてくださった、LOVE&PEACEスピリッツ溢れるこんな素敵な企画書が原案です。
ラブのEをAに変えてロバ読みしたらどうかな、とスタッフの江藤さんが提案してくれたところから盛り上がり、ロバ&ピーチいつやるの? とせかされていたのですが、なかなか具体案まで進みません。放課後、皆で真剣に会議を行いましたが、話し合いは難航を極めました。ラブ&ピース観は個々人で大きく異なるため、「暗黙の了解」のような共通項を共有しづらいからです。
それならば、無理に意見を擦り合わせなくったって、ひとつにまとまらなくったって、みんなが、それぞれ、いろんな作品を出せばいいよね!
そんなピースフルな発想から、ロバピー案は「LOVA&PEACH展」のかたちで生かされることに決まりました。
その会議が、約一週間前のこと。
作品制作の時間を考えて締め切りまでには一週間の猶予を設け、この日の実行を決めました。
出品作家はわたしひとりではありません。
美術館スタッフ(通称、+zen)、美術の杉先生、友人、身内、前日たまたま居合わせたお客さんも含め、総勢12人による展覧会です。
決してわたしが皆に出品を強要したわけではありません。スタッフの方々も弱りながらも乗り気でしたよ!
とは言え、やはりわたしたち素人だけの展示では心もとないので、展覧会にハクがつくようなちゃんとした作家の方にも出品をお願いしました。
まず、美術の杉先生には、ご専門の染色作品で参加していただきます。先生はこれまでもちょくちょく美術館に来てお手伝いをしてくださっています。なんか暇そうだし、先生の参加は当然のこととして話を進めていました。断られなくて良かったです。
それから身内。姉と父が、ちょうどロバ&ピーチ前日に小国入りするとのこと。これ幸いと彼らにも出品を強制しました。姉はとてもいやがっていましたが、何か文章で参戦してもらい、父にはロバになってもらえばいいと思いました。
それから、善三美術館にゆかりある遠方の友人、ワタリドリ計画や、和久井さん(善三擬態参照)にも。それぞれ個展準備や仕事で忙しいので、「無理だと思うけど…、」と控えめに出品を申し出たのですが、快く依頼を受けてくれました。
姉と父も無事到着し、グループ展当日がお休みのスタッフの方がコラージュ作品を提出してくださり、夜中には山下さんをはじめとしてスタッフの皆さんから続々と作品の進行状況メールが届き、朝には9時ぴったりにヤマト便が届いて(制作道場で使用する物資は、小国町内で手に入るものに限るというルールは忘れてい ました)、梱包を解く手が震えました。ここにロバ&ピーチ展の未来が詰まっていると思いました。
展覧会の主催者の気苦労がよくわかりました。これからは締め切りは守ろう…。
友人は急な依頼にも関わらず超速で作品を送ってくれたのに、自分だけ朝になっても作品未完成のままで、自分主催のグループ展なのに肩身が狭かったです。
集まった作品の展示方法(平面ならば壁面、立体なら展示ケース、布作品は吊るす、床置き、etc)の検討、位置決め(作品同士が嫌な感じに干渉し合わぬよう、一個一個がよく見えるよう)、額装、ライティングなどをしているうちに時間は飛ぶように過ぎていきます。
作業が一段落したのは1時頃だったでしょうか。
全員くたくたでした。
冒頭のLOVEでPEACEな企画書を寄せてくれたお姉さんが展覧会を見に来てくれて、「次に展覧会がある時はわたしも出品したいです!」と目を輝かせておっしゃってくださいました。お姉さんに見ていただけて心からうれしかったです。
それでは、とても長いですが出品作の数々をどうぞお楽しみください。
まず、自分の作品を数点、本人の解説つきで。
「王さまの鼻はろばの耳」若木くるみ
小窓から鼻ロバを出す。
「さがしものはなんですか?」若木まりも
(作画はくるみ)
さがしものはなんですか?
白やぎと黒やぎが、桃の木がゆれる窓辺でお茶のしたくをしていました。
ふと外を見ると、遠くからだれかやってきます。
「あれ、めずらしいな、あれは……ろばじゃないか。」
黒やぎがいいました。
「うん、ろばのようだね。」
白やぎも答えました。
「すみません、王さまがびょうきになって、桃をさがしてこいというおふれが出たんです。桃をわけていただけませんか。」
ふたりはもちろんとうなずきました。
「どうぞどうぞ。うちの桃は、最高級の桃ですよ。」
じまんの桃を枝からもぎとり、さっそく切ってすすめます。
みずみずしい汁がしたたり、白にほのかに紅がさして、それは美しい桃です。
ところがひと口味見したろばは、困った顔に。
「これはおいしいけれど、桃じゃありません。もっと甘くて黄色くて……」
「?」
「ほら、給食のフルーツサラダに入ってる……」
「??」
「ほら、安いクリスマスケーキで、上はいちごなのに切ってみたら中はっていう……」
このへんで白やぎと黒やぎは、ははあんと思いました。
「……ほら、ファミレスのプリンアラモードとかに必ずついて」
「わかった、わかったよ、それをあげましょう。」
そういって白やぎは食品棚にひとっ走り。
「これですこれです、ありがとう。」
ろばはよろこんで帰っていきました。
「これでよかったのかなぁ。」
遠ざかるうしろ姿を見送りながら、ぽつりと白やぎがいいました。
「しょうがないよ、かんづめの桃しか知らなきゃ、そりゃああれが桃さ。」
黒やぎはつぶやきます。
最近まで自分もカニカマをカニだと思っていたことは言えませんでした。
「それにしても、図鑑とか本とかで見たこともないのかな、ほんものの桃ってやつを。」
「はは、ろばはばかだって言うけど、ほんとなんだな。」
ふたりは苦笑いをかわしました。
と、ふとろばが去った足あとに目を落とした黒やぎが、顔いろをかえました。
「このひずめ……ろばって、こんなだったっけ。」
ろばならば、馬のなかまだから、なんとなくわかるはずなのです。
そのひずめは、ふたりが見たこともない、奇妙なかたちをしていました。
白やぎはこわごわ、黒やぎを見ました。
「あれはろばだっていったのは、きみだよ。ちがうのかい。」
「わからない。ぼくだって、図鑑で見ただけなんだ。」
もはや豆粒のように小さくなったうしろ姿を、ふたりはぼうぜんと見つめるだけです。
「じゃあ、あの生き物は、いったいなんだったんだ。」
風が吹いて、窓辺の桃が、ひときわ強く香りました。
姉の文章に触発されて描いたクレヨン画の大作は恐ろしげなことになりました。
気を取り直して、
「シロバニアファミリープレゼンツ LOVA HOTEL」若木くるみ
「LOVA SONG」若木くるみ
ファーストロバからロバイズオーバーまで。
「今、冴える老いドル 週末カフェイン もも(いろク)ロバー、Zen」若木くるみ
皆さんよくコーヒーを召し上がっておられます。決め台詞の「ゼーン!」で声をそろえたいです。ももクロを知らない方は調べてみてください。
額装するとかっこよかったです。
「サロバ湖」若木くるみ
細長いかたちが特徴のサロマ湖は、もともとロバのかたちに似ていました。北海道の湖です。構想を伝え、制作はほぼ杉先生にしていただきました!
「ファツマ•ロバ」父
←姉
※ファツマ•ロバは、アトランタ五輪女子マラソンで金メダルを取った選手です。
以上、若木家でした。お粗末様でした。
ここからは制作道場を支えるスタッフ4名の作品。
「ロバとモモのドナドナ」山下弘子
「ロバニラ弁当」えとうなおみ
「ロバネピーチ(バネポーチ)」梅木あづさ
「桃尻ロバ」時松美佳
美術の杉先生の型染め。
「クルミ童話」杉枝里奈
友人、お客さんなどの作品。
「桃太郎」麻生知子
(うしろは中国農民画の桃園、麻生氏私物)
「ロバのもも」武内明子
「ロバート氏のプライベートビーチ」白肌4
「これが私のLOVA&ぴいち。」和久井礼子
「桃のひらき/ロバンバルトによる」山下通
撮影のクオリティにばらつきがあってすみません。
出品作家のひとりが「グランプリの発表を楽しみにしているよ。美術館買い上げとかあるのかな。来年は、白肌4アートの風、30日間バンジーライブをやりま す。」とかいう、躁状態としか思えないことを言っていて、こわいのでグランプリの決定権は山下さんに委ねようと思いました。
山下先生、採点よろしくお願い致します。
ちなみにわたしは、「ロバのもも」にびっくりしました。もも→脚の腿とは考えつかなかったなあ。このロバは、「産まれた時に桃色で、名前もモモでもーもーと鳴く」そうです。
調子に乗って悔恨。
-------本日の学芸員赤ペン-------------------------------------------------------------------------------------------------------
制作反省日記をご覧のみなさん。
今日の作品「LOVA & PEACH展」をご覧になって、頭に???が浮かんだ方も多いのではないでしょうか。
何でグループ展?出してる人たち誰?制作道場じゃなかったの?
ご指摘ごもっとも。
でもよくご覧ください。
これは、「「LOVA & PEACH展」という展覧会ではなく、「「LOVA & PEACH展」という展覧会の形を取った作品」なのです。作品の展覧会は普通ですが、展覧会が作品というのはあまりないのではないでしょうか。少なくとも制作道場では初の試みであり、これまでになかった作品になったと思います。
それがつまりどういうことかというと、「LOVA & PEACH展」というグループ展だったら、出品作品1点1点はそれぞれの作家の作品ですが(あたりまえですね)、「「LOVA & PEACH展」というグループ展という作品」だったら、出品作品は(それぞれに当然作者はいるけれど)、発電ルームランナーや電飾やダンボールや絵の具や馬のお面と同じポジションということになります。つまり、若木くるみの作品の一素材であるということです。もちろん、この素材をいかにイメージ通りのものを選ぶか、いかに質のよいものを選ぶかが大事であり、今回、各種作家のみなさんが出品してくれた作品は、良質の絵の具が発色がいいように、この作品(「LOVA & PEACH展」)の仕上がりやリアリティをぐっと高めるものになりました。本物の展覧会みたいだった。みなさん本当にありがとうございました。見ごたえありました。+zenの作品も、まるでサンクス※にあっと驚く掘り出し物があるように、それぞれの得意分野を活かした素材を提供できたと思います。
そしてもう一つ、きっとみなさんの胸に去来しているだろう思いはこれではないでしょうか。
「なんで若木くるみがLOVE & PEACE?」
そう、確かにLOVE & PEACEなんてくるみちゃんからは決して出てこないテーマです。本作品は、くるみちゃんの日記の中で紹介されている企画書がもとになって発想されたものですが、ではなぜそれがくるみちゃんの目にとまったのかというと、それがあまりにもくるみちゃんの中になかったものだったから。それならやってやろうじゃないのと作家魂に火がつき、猛烈変化球でそれに応えることになったわけです。もちろんLOVEでPEACEなスピリッツを知らないわけではないものの、それと自分の人生が関わることがあるとはくるみちゃん自身も思っていなかったはず。ある日そこにロバと桃が登場するまでは。
LOVE & PEACEがLOVA & PEACHに変化したのは、単に文字面が似ていて組み合わせが面白いというだけの理由であり、ロバにも桃にも全く意味はありません。「LOVA & PEACH展」はそのロバと桃をあたかもすごく大事なキーワードのように扱ってそれにまつわる作品を展示するものです。つまり、1点1点の出来を鑑賞するのではなく、「LOVA & PEACH」などというばかげたキーワードのもとで大真面目にやっている展覧会をメタ視点から見るという作品なのです。言い換えると、展示してある作品だけでなく、1点1点の作品を「これがいいね」「これステキ」などと言って見ている私たちもろともが「LOVA & PEACH展」という作品の一部というわけです。
実際それぞれの作家作品はさすがのクオリティで展覧会の充実度をぐっとアップさせてくれたし、+zen作品は、見ている人達に「私も出品したい!」と思わせるに十分な創意工夫と手作り感あふれるものでした。そしてそれぞれがその会場の中で最もよく見える場所と方法で展示されたときの空間の仕上がり。展覧会場を作るのって本当に楽しい。作品はどれもウィットに富み、見ている私たちはつい笑顔になっていました。
そこでハッと気がついた。これがLOVE & PEACEでなくて一体なんであろう。ロバと桃なんて馬鹿げたキーワードの展覧会にみんなで全力で作品を作る、この行為がラブでなくてなんであろう。そもそも制作道場なんて収入に直接つながるわけでもない展覧会を夢中でやることがピース以外のなんであろう。もっと言えば、美術館が存在できるということが、ラブとピースそのものではないか。大勢で集うでもなく、タイ染めのTシャツを着るでもなく、ある夏の日にくるみちゃんの作品を見て笑いあう。
これが 私の LOVE & PEACE。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
※サンクスとは、小国町にあるホームセンターで、思いもかけない品揃えと価格で日本全国の若手現代美術家から熱い注目(当館推測比)を浴びている。