中学生ワークショップ うらの顔④ 8月17日
今日は朝いちばんから大牟田の学芸員の方が訪れてくださいました。ご家族皆さんでうらの顔ワークショップに参加していただきました。
お子さんはうらの顔だけでは飽き足らず、前の顔にも盛大にお絵描きをしていて、だ、大丈夫かなと思ってハラハラした。
他のこどものように笑ったり泣いたりとせわしなく表情をゆがめないかわりに、目には静かな意志をたたえていて、それが表情の乏しさを感じさせずむしろ雄弁に思えたのが不思議でした。
ハーモニカを鼻にあてがって、ふんがふんがと弾いていたのも愉快だった。表情と、大胆な振る舞いとのギャップが魅力的で、彼女にだけでなく自分はなぜ各々の「顔」にこんなにもひきつけられるのか、考え込んでいると中学生ワークショップの時間が来てしまいました。
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中学生用の心づもりが整っていないまま始めてしまったせいか、わたしが後ろでゆわえていた髪の毛をほどいて、鏡越しにうらの顔を描く実演をしても、なんとなく手応えがありません。
「まずは普通に、みんなの知っている通りに自画像を描いてもらいます。自分の顔をよく見る練習をしてください。」
そう言って、画板、ペン、お面用の画用紙を配っても、みんな全然描き始めない。手が遅い。進まない。時間ないよと思う。「早く描いて」と言った。でも、思い直して言ったそばから、「別に、早く描かなきゃなんてことほんとはないんだけどね。絵なんて強制されて描くものじゃないしね。」とまぜっかえしたりして、結局は「でも描いてね。」って指導者ぐらぐら。
なんでかなあ。なんで描かないかなあ。
「これって美術の評価に関わりますか」ってわたしの目の前で確認する生徒がいたりして、「じゃあやっつけでいいや」って、くそっ。
わたしだって苦手な教科のつまんない先生の授業は昼寝の時間と決めこんで最低な態度で臨んでいたが、その因果応報で今こんな仕打ちを受けていると思えないこともないが、言っとくけど、わたしはつまんない先生じゃないからな!!!
秘密兵器を投入しようと思って、自信満々で横の顔まで見せたけど、みんなぽかーんとしていました。すべった。
どうしよう。
絵を描くのは、わたしは、好きなんだよ。おもての顔も、うらの顔も、とてもたのしいと思っていてね。自信あるんです。明日は休館日だから今日すべっちゃうとずっとダウナーなまま過ごさなきゃいけないし、やなわけ。だから、押し付けがましいようですが、美術に全然興味なさそうなあなたにも、今日はなんとしても、たのしい気持ちで帰ってもらいます!!(心の中で言いました。)
それですごい、このワークショップは美術ではなくスポーツだと思ってもらうことにして、ちょっと必要以上に激しく体を動かしてレクチャーしたために、発言が暑苦しいだけではなく実際に部屋の温度がとても高くなりました。
いい試合をありがとうございました。
おつかれさまでした。
午後もその勢いを持ち越して、一般の方とのワークショップ。
こちらもいい試合のオンパレードでした。
出来上がりの素晴らしい作品も多かったですが、それより何より、うまくできなくても決して諦めない、完成まで描き続ける姿勢に特に痛み入りました。
間違った線をどうかたちに生かしていくか。失敗した点をどう絵のあじにしていくか。人生経験を積んだおとなならではの底力は、中学生のみなさんの最高の教材になると思いました。
間違いなんてないからね! あるけど。あるけど、明日も生きているなら、挽回の可能性はすごくあるっていうか、挽回どころじゃなく逆転の可能性だらけなんだと思いました。
なんとか画面を立て直そうとしてあがく姿には、自分の手がけた「しごと」に対するそれぞれの責任感を感じて本当に胸を打たれました。
おとな、良かったな。
それから、わたしがお客さんとぎゃーすか騒いでいる横で、とても長い時間をかけて黙々と「うらの顔」に取り組んでいた少年の作品がスーパー良くて、嫉妬のあまり「銀座で売れそう。」とかいう配慮に欠けた俗物発言をして後悔した。撤回します、プライスレスです。
スタッフの方々と作品を取り囲んで、「繊細」「思慮深い」「内省的」と、作品を褒めちぎりましたが、わたしは心中でいちいち「神経質」「とろい」「暗い」と絶賛ワードをネガティブに置き換えて作家の面目を保てるようがんばりました。
山下さんが、「うちの息子と同じ小3…。」と打ちのめされていて、「しょ、しょうがないですよ、○○くんには○○くんのいいところがあるし…。」と、とりなす自分の声にも明らかに力がなかった。他人の息子の心配をしてる場合ではない。わたしは自分の作家生命を思って身の縮む思いでした。
なんでいい絵って生まれるんだろう。何が、なんでいいんだろう。いいものはいいとしか言えないのが悔しくて仕方ない。理不尽だと思う。みんないい作品つくりたいのに。
わたしだっていい絵が描きたいです。
いいな
今日の中学生の提出してくれた感想カードに、「若木さんはとても明るくておもしろい人でした。」と書かれてあって、うわー! あったあった! 小中学生の時、「明るくておもしろい」っていう言い回しよくあった! と思いました。
明るくておもしろい人にいい絵は描けなそうだと思いました。死にた
少年の作品は額装して展示します。
---------本日の学芸員赤ペン------------------------------------------------------------------------
今日のくるみちゃんの進行ぶりは素晴らしかった。自画像を描き始めた段階では、いまひとつ乗れなかった中学生たちに盛んに声をかけ、中学生たちも気がついたらノリノリになっていました。相手に応じて出方を変える、ワークショップの技術ですね。
友達みんなに見られながら、やったこともない裏の顔ドローイングをするのは、自意識も成長期な中学生たちにとって恥ずかしくもあろうと思います。そこをくるみちゃんは「いいよいいよ」「おもしろいよ」と声をかけ続け、みんなのやる気と笑顔を誘います。
ある男の子が、身体をよじりながら苦心して裏の顔を描いていました。目を描き、鼻を描き、少しずつ少しずつ顔が進んでいった頃、鼻の穴が描かれました。右に流れた鼻筋に対して鼻の穴はほぼ縦に。その瞬間、間髪入れずにくるみちゃんの声。
「あははははは!おもしろーい!すっごくおもしろーい!!!」
本人を含め見ているみんなが「ああっ!縦!間違えた!」と思う間もなく、縦位置の鼻の穴は、個性的で魅力的なその絵の核となって存在することになったのです。
これはほんの些細な出来事かもしれません。でも、物事の価値なんて何にも決まってなくて、どんな小さなものにも様々な解釈と可能性と広がりがあるということを、そしてそれは眼差しを注ぐ自分自身で見つけることができるのだということをはっきりと見せてくれたように思います。
これを伝えることができるのはアートだからこそ。アーティストだからこそ。中学生たちの心のどこかに残っていくといいな。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子