中学生ワークショップ③ うらの顔 8月7日
心に何も残らないということがあるんだなと知った前回、うまくいかなかった原因をつきとめようとあらゆることを反省しました。
その反省会の模様を箇条書きにてお楽しみください。
1、
わたしが見本としてうらの顔を描いてみせるときに、簡単に描きすぎ。うらの顔未体験の美術の杉先生にも参加してもらって、慣れていないとどうなるか実演してもらってみては。
2、
合わせ鏡をうまく使えないまま、何も見えていない状態で進めている生徒がいた。合わせ鏡にうらの顔が写っていることをひとりずつ確認してから描かせる。
3、
勘で描かせる第一部はやめて、かわりに正面での普通の自画像にしてはどうか。自分の顔をよく見て描く訓練をさせてからうしろ手で描くうらの顔に臨んだほうが、かえって表裏の差も際立つのではないか。
4、
6人一斉にさせるのは人数が多すぎた。実演させるのは4人までが限界だと思う。次回は16人と大人数なので、時間配分に注意を払いつつ、かつ全員に目が行き届くような割り振りをする。
5、
わたしが後頭部に顔をつくろうと思ったきっかけエピソードをまず話してみると、生徒も「うらの顔を描く」企画に感情移入しやすくなるのではないか?
等々。
集まった生徒の密集具合に、多いな!! とひるみそうになりましたが、こっちも臨戦態勢は整っていたので余計に燃えました。この2日間脳内で何度も何度もワークショップのシミュレーションをしました。ウォーミングアップは十分すぎるほどだった。
本番がやっとできるとわくわくして妙にポジティブだったのは、反省3を試してみるのが本当に楽しみだったからです。
自分では「何も見ず描く」感覚を味わってもらうのも大切だと思って、勘で描かせる作業を入れていたのですが、いざやってみると、お面を両面埋めるためだけの時間になっていたように思います。でも、話し合いをするまでそのことに気付けませんでした。プランを変えてもいいなんて思いませんでした。だから、山下さんに「もう最初はちゃんと自画像描いてもらえばいいと思うよ。中一だから、みんな自画像描くって経験もそんなないのかもしれない。」と言われた時は本当に目からうろこでした。すごく良くなる! という確信が、どうか裏切られませんように…と嘆願するような気持ちで挑みました。
自画像を描くのには思ったよりも時間がかかったものの、みんな鏡と真剣に向き合っているなという印象を持ちました。とにかく真摯な姿勢があちこちにあって、もうそれだけで、震えるほどでした。
わたしがうらの顔を描いているときの、みんなの真剣な様子です。
わたしは、反省3の「正面で自画像を描いてから合わせ鏡に入る」という画期的な改善案に夢中すぎて、反省1の杉先生の実演、反省5の自分語りはすっかりどこかへ飛んでしまっていたのですが、それでもとにかく、よく「見る」、まず「見る」、今見えていると思っているものももしかして全然見えてないかもんだ、ということをしきりに言って、「見る」「よく見て描く」という軸がぶれることはありませんでした。
みんな、本当にすごくよく見ようとしてくれました。
よく見て描こうとしてくれました。
スタッフさんが「いい写真が多すぎて消せない!!」と叫ぶほど、いい場面、いい顔がそこかしこで爆発していました。
総括で、反省5をやっと思い出して、自分がうらの顔を初めてつくったきっかけを話しました。
「わたしは走るのが趣味なのですが、マラソンって長いし、変化ないし、大会では、前を走る人たちの後頭部しか見えないことをとても退屈だと思っていたんです。それでわたしは、自分より遅い人たちに、びっくりしたり元気になったりしてもらいたいなと思って、後頭部を剃って笑顔の顔を描いて大会に出ました。」
「わたしも、初めて髪の毛を剃るときは勇気がいったし、こわかったです。でも、おこがましいですが、みんなをよろこばせたいなと思う気持ちのほうが大きかった。」
「あの人うらおもてあるよね、とか、うらの顔、とか、ネガティブな意味合いで使われることが多いと思うのですが、人の役に立ちたい、笑わせたいっていう明るい動機で始まったうらの顔も、あるんですね。もちろんそれだけじゃなくて、ほんとに意地悪なうらの顔もいっぱい持っているしね。それも含めて、いろいろな面があればいいなと思っています。」
いろいろな面が、たくさん、あればあるほど面白い、そう思っているんです。
そして今日は、そんなお面がこんなにたくさん、できました!
------本日の学芸員赤ペン-------------------------------------------
今日のくるみ先生。
前回の反省がすべて改善へとつながり、こちらの思いがしっかり伝わったという手ごたえ満点で終えることができました。時間配分もぴったり。くるみ先生すばらしい。
話を聞く中学生たちが、「次は何の話を聞かせてくれるんだろう(キラキラキラ☆・・・)」と、文字通り目を輝かせる様子を見るのは本当に嬉しいものです。13歳の胸にはどんな風に残っているんだろう。
今日のワークショップでは、自分の目でしっかり見ることが成功したので、お面に描かれた絵も、その子の目線がはっきりと伝わる個性豊かなものとなりました。そこに描かれた絵がその子の個性を表すとは思いませんが、一つずつ違う眼差しで描かれたお面は、一人ひとりがみんな違うということを目に見える形にしてくれました。
私はこの中学生のワークショップでは、中学生たちがアーティストに出会うだけでも大きな意味があると思っています。アーティストは「みんな違う」を実行しているような人たち。いろんな人がいて、いろんな考え方があって、いろんな見方があって、いろんな自由さがあって、そんな多様性を知ることは、将来いつかつまずくようなことがあったときにきっとみんなの支えになるに違いない。苦しくて行き場がないと思っているときに、ほんの少しの想像力があれば、実は自分のすぐとなりに新しい自分の場所があることに気づくことができるかもしれない。今日の中学生たちの胸にも、くるみちゃんとであった記憶が小さな種となっていつか芽吹くといいなと切に思います。
13歳の中学生たちにも、これからいろんなことがおき、いろんなことを決断していくことが起こってくるでしょう。そんなときに、物事は何も決まっていなくて、自分の頭で考えて自分の心で感じる自由があるということを心のどこかにおいておいて欲しい。人生の選択肢は本当にたくさんあるんだよ。29歳で後頭部を剃って顔を描いてもいいんだよ。くるみちゃんなんて、後頭部を剃ったおかげで、岡本太郎賞を受賞することだってできたんだよ。
・・・と私がここまで語りかけたとき。
くるみ:「そうだよ!賞金200万だよ200万!ゲンナマだよ!」
まあ、確かにそうですけど。中学生たちにはリアルに感じられるかも知れませんけど。
いい話台無しじゃん!
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子